昭和45年の初め頃にはっきりいって行き詰まりになったと悟ったんです。将棋の手を決めるときに、どういう気持ちで、自分が指す一手を決めたらいいかについて曖昧模糊として吹っ切れないものがあったんですね。満足できる将棋が指せてなかった。それが5年10年続いたのでかなりこれはまずいと思ったわけです。そんな時にふと立ち止まってつらつら人生というものを考えたときに、自分のそういった行き詰まりを打開する、飛躍させるには、私は宗教の力が大切だと思ったんです。
もともと「名人」という称号は江戸時代にさかのぼるわけで、将棋会の根幹になっている大タイトル戦だったわけです。もしこれで名人戦に負けてますと、どうもやっぱり、いまいち棋士人生でいうとかなり寂しいですよね。ということで「一番うれしかったことはなんですか?」と問われたら、これはやはり「名人獲得」です。 (昭和57年 名人)
・・・(たとえて言うと、横綱になってから負けが込み、幕下陥落してもまだ相撲取っているような状況について)・・・
はっきり言ってわたしの「生きがい」なんですよね、目いっぱい家族の支援のもとにエネルギッシュに戦ってきたわけね。ところがこれがもし仮に引退となると、私が心血を注いで活躍する場がないですよね。生きがいとしていることが、なくなるということですよね。現役であるか、引退であるかに関していいますと、確かに重症の患者だけれど、別に死んだわけではないんですよ。普通に考えたら笑われると思いますよ。笑われても私はそうだろうと思いますよ。だけども神様がお考えになってることの先回りをするという考えは全くありません。私は最後の一息まで自分のすべきことをすべきというふうに思ってます。
今日の作戦で戦ったのは私は今まで2000何局か戦ってますけど、中で5局位しか指していない将棋なんですね。ということは、私にも時折思いますけども将棋というのは新しい戦いに展開することがまだまだあるということなんですよね。はっきり言って無限ですよね。無限のものを直感とか使って戦ってるというわけなんですよね。
順位戦の引退ということになったのだけど、今の私の心境は、一生懸命やってきました。でも結果は出ました。だからこの結果は本当に「はい分かりました」といって落ち着いて受けまして、でも私は今まで通り神様の配慮、神様の愛は信じてますからこれからもやる気を失わないでやっていきますという心境なの。きわめて不本意な出来事になってもそこでね、そんなに落ち込んだままでなくてそこから立ち直っていくということが大切だと思うの。
理屈抜きで私は将棋の才能を頂いているわけだから、ひたすら将棋を指して良い将棋を指すことにつきる。「私はもうギブアップ」「もうお手上げです、もう完全に参りました」という立場にないの。だってまだ生きてる人だから、まだ息してるんですからね。堂々と正面切ってね、力いっぱいね準備もして憂いのない戦いをしたい思ってるんですけどね。
公式戦の対局はできないんですけれど・・・・・・いま77歳ですけど、いままでなかったね、いろんなことがこれから先、私の前に待ってるわけですよね。それを思うだけでも、ものすごく胸がワクワクしてくるんですよ。
昼間うなぎの注文をしてまた夜同じうなぎを食べたり・・・・とってもおいしいですよ。
お昼っていうのはウナギが2つ入っているうな重を頼みまして、夜はおなかが相当すいていますから、夜はうなぎが3つ入りのうな重を頼んでます。うな重をしっかり食べておきますと、12時ぐらいになっても元気よく戦っているということでうな重を35年40年食べてますね。
棋士のなかで最も負けた(1324勝1180敗)ということについて、羽生善治は言う。
「だから最多敗は活躍してないと絶対作れない記録なので、なんというか、人知を超えた世界というか、よく分からない世界です」
「加藤一二三 という男、ありけり」 NHK ETV特集