観世九皐会百周年記念特別公演
先代二世観世喜之三十三回忌追善 国立能楽堂於
番組
・仕舞
『敦盛』 観世敦夫
『松風』 永島忠
『隅田川』 梅若靖記
『山姥』キリ 梅若紀長
・能
『三 山』
シテ:観世喜正 ツレ:長沼範夫
ワキ:森 常好 ワキツレ:館田善博 森常太郎 間:山本則重
・狂言
『泣尼』
シテ:山本東次郎 アド:山本則孝 山本泰太郎
・仕舞
『白楽天』 山階彌右衛門
『藤戸』 梅若万三郎
『西行櫻』 梅若玄祥
『船辦慶』 観世芳伸
・一調
『誓願寺』 観世清和 観世元伯
・能
『関寺小町』
シテ:観世喜之 子方:梅若志長
ワキ:宝生 閑 ワキツレ:工藤和哉 御厨誠吾 大日方寛
後見:観世清和 梅若万三郎 観世喜正
大鼓:安福建雄 小鼓:幸清次郎 笛:一噌庸二
地謡:梅若玄祥 遠藤喜久 奥川恒治 山崎正道
中所宣夫 弘田裕一 梅若晋矢 五木田三郎
『関寺小町』は能楽師のなかにあっては滅多には演じられる事がない曲ということで楽しみにしていた。演能されない理由は、老女ものとして大切に対応しているので、表現するには演者がそれ相応の年齢でなければいけないという暗黙の物理的な条件がある上に、狭い作り物の中に1時間近くも留まっていたり、百歳ともいうかっての貴人、小野小町の人となりを連想させる身のこなしを演じなければならないということで、相当の覚悟が必要だからだろう。今回喜之師が決心したのは、75歳で他界した父への追善、自身75歳になった事、また流儀のお偉方の協力を得られたからと挨拶文に記載されていた。また明治維新後この曲を演じた能楽師の中に観世姓はいず、もちろん矢来観世家では初めての演者となったとのことが書かれていた。それだけこの演能は記念すべき事だったのだ。皆、長袴を佩いていた。
藁屋が運び込まれやがて始まる。老いの物語を思わせる掠れ切った笛で始まった。関寺の住職が稚児を連れて登場し「待ち得て今ぞ秋に逢ふ」と謡いだす。これは現在能、幽霊の物語ではない。僧たちは稚児を伴い、藁屋の老女に会いにゆく。藁屋に着くと老女は「朝に一鉢を得ざれども」と謡い始める。そして寂びさびと詠嘆し「あら来し方恋しや」と結ぶ。艶のあるよく通る声だ。静かになってゆく見所の気配。しだいに物語の中に引き込まれてゆく。僧は「歌詠むべき様を」教えて欲しいと言い、老女は「心を種として言葉の花色香に染まればなどかその風を得ざらん」と返す。そしてひとしきり和歌に関するやり取りをし、僧は老女が小野小町と気づく。「げにやつつめども」から「弱り行く果てぞ悲しき」あたりまで地謡と老女とのやりとり。地謡は良く調和して丁寧に謡われていた。うとうととするくらいだ。と稚児の「いかに申し候」と溌剌と発声。老女も共に七夕の祭りに行こうと誘い出す。稚児に誘われ関寺に藁屋を出る老女。関寺での華やかな稚児の舞。それを見つめる老女。やがて老女はかっての五節の舞を思い出し、百歳の自分も舞いたくなり、序の舞を舞い始まる。杖をつき扇を手によろよろと、でも気高く舞う。ゆったりとした扇さばき。みごとな老女ぶり。やがて疲れてシテ柱あたりで崩れるように休み、そしてまた舞う。この老女の舞い切ってみたいという願い、執心。「百年は花に宿りし胡蝶の舞」と老女が謡い「あはれなりあはれなり老木の花の枝」と地謡が引き取り「告げ渡る東雲のあさまにもならば」と謡う。そして年甲斐もなく舞った老女は「羽束師の森の」と謡い杖にすがってよろよろと再び我が藁屋へと戻るのだ。物語はこれまででこの後、稚児とワキ僧たちの退場。老女は藁屋を出、杖をつきよろよろと幕に消える。舞台に誰もいなくなるまでの長丁場だったけれど、見ごたえありました。名演。枯れ切った熱演。 よかった。