名古屋の白ウサギ・1964年生

自称・宗教家・・宗教家とは職業ではなく「私の生き方」です。
職業・会社員、投資家  趣味・偽善事業

偶然に意味を求めると付け込まれる。

2022-09-30 | 宗教


今まで多くの人から悩み事の相談を受けました。
多くの成果を上げました。

でも、このブログでは例え匿名・仮名であっても、
その内容は本人の承諾を得ない限り
公表したことはありません。

今回は、本人から承諾を頂きましたので
公表させて頂きます。



30代、独身女性Yさん・・からの相談・・
お逢いしたのは、4年前の11月・・・



Yさんは深刻な顔をして私に問うた・・



今年になって悪いことが連続しています・・
家族問題・・
友人関係でのトラブル・・・
仕事上のトラブル・・
車の運転中、交通トラブル、
何となく体調が悪い・・
些細ではあるが、金銭的トラブル・・
悪い夢をよく見る・・
連続して起きる小さな怪我・・

ウサギ様・・・
どうして??どうして・・
悪い事が重なるのでしぅようか??
今年になってから良くない事の連続・・

年回り???
名前が悪い??家相???
方位の良し悪し??
何かの暗示??

毎日いろいろ考えています・・・

 ひょっとしたら・・何かの祟りでしょうか?

 霊障??でしょうか???(霊的要素で起きる障害)



私は、原因が即座に観えました・・

(観えるとは・・何かを強く感じて・・それに確信を持つこと)


私は低い声で、力強い口調で答えました・・・



 それは・・偶然です・・  

Yさんは不思議像な表情で私の見つめました・・

  私は更に続けました・・・

霊能者や拝み屋さんに相談したら、
必ず何か最もらしい事を言うでしょう・・

「あなたの心掛けが悪いから」・・とか
「あなたの背後に何か見える」とか・・

不安な心境のときは、
何の根拠もない回答でも
自信満々な態度で「何々が原因だ!!!」・・・と断言されたら、
その内容を精査することもなく、
信じてしまう・・・

偶然に起きる現象に対して、全てに意味を求める・・・
全てを説明する・・・

これは、徒労です。

必然と、偶然を見分ける知恵と勇気を失うと、

「変える事の出来るもの」・・未来
「変える事のできないもの」・・過去
この二つの境界が曖昧になります。

そういう「心に隙間に」悪い人間が付け込んで来る。
更に言うなら・・

「悪い人間」に付け込まれるだけでなく・・
「悪い霊」に付け込まれる・・・

「悪霊」とは・・・人間の心が創り出した
「影」のようなもの、
「心の影」です・・

影は実在ではないが・・・
不思議な事に、「個性を持つ独立した実体」のように
独り歩きする。

霊感??とは非科学的な言葉であり
「文学」の世界の言葉です・・

霊感・・と言う言葉を使う事は、
恥ずかしいことですが・・
恥を顧みず、
敢えて、この場合・・「霊感」という言葉を使います・・

私の「霊感」で感じることを率直に申し上げます・・・

いまの貴女に・・霊障・祟り・・
などと言った要素は一切感じません!!!

念のために申し上げますが・・
私は・・同じ言葉を、誰に対しても、
どんな場所に於いても、オームのように
繰り返しているのではありません。

ごく稀に、例外的、奇跡的な事ですが・・
確率で言えば・・100件の内2~3件・・
霊が関係している事も確かにあります・・・

方位、年回り、家相、そのような悪い要素も一切感じません。

 悪い事が続くと、不安になり、何かの障りではないかと疑う・・

 良い事が連続すると・・
気が大きくなり、この状態がいつまでも、
永遠に継続すると言う妄想を描く・・

 急にお金が入って来ると・・
これからも金運は続くだろう・・という錯覚に陥り、
笑って浮かれる・・

 悪い事が起きれば・・・「目に見えない何か」に原因をもとめ・・
すがる思いで神頼み・・

 良い事が続けば・・・調子に乗り・・危機管理意識を忘れる。

肝心なのは・・・

目先の浮き沈みに右往左往しない
心の余裕

貴女に申し上げます。

今の貴女がやるべきことは・・



魔物だろうが・・悪霊だろうが・・
どこからでも掛かって来い!!!!

・・・と・・宣言することです・・・・



私と会って話した数カ月あと・
Yさんは奇跡を見ました・・

彼女の頭上に・・強い光が差しました・・・

事実ですが・・
嘘みたいな話ですから、内容は書けませんが・・・

厳密に言えば・・奇跡ではなく・・・

 本当の自分を取り戻した 

が・・・適切な表現であると感じます。

進め!! 進め!!  果敢に進め!!!


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祟りの仏像

2022-05-06 | 宗教


私の住む家から、自転車で10分位の場所に、
●●寺というお寺があります。

この寺は、真宗大谷派(東本願寺)に属する寺で、
このお寺の納骨堂に私の先祖の遺骨が納められています。
私も、今生を終えたら、この寺の納骨堂にはいります。



数年前まで、この、お寺の御堂の階段の昇り口の脇に、
高さ20センチ位の大きさの、木彫りの弥勒菩薩の
仏像が放置されていました。

どういう訳か・・・
この仏像は、祭られている訳でもなく、
無造作に置かれているといった状態でした。

この仏像は何だろう?
いつも不思議に思っていました。

仏像の形態から推測するに、
この仏像はホンモノの仏像ではなく、
奈良か京都の観光地の土産物屋で、
レプリカとして売られている、
飾り物の仏像のようでした。



そんなある日のこと、私の母親がこの寺を参詣したとき、
御堂の前で、住職とバッタリ出くわました。



私の母親が、住職に尋ねた・・・
「 この仏像は、どうしてこんなところに置いてあるのですか? 」

住職答えて曰く・・・

「 実は、この仏像・・・檀家のある方から引き取って欲しいと
頼まれた‘ 呪いの仏像 ‘なんです。
その方は、
複雑な事情があって、この仏像を貰い受けたのですが、
この仏像を手にしてからは、
悪いことや、怪奇現象、不吉な事の連続。
『 そんなの偶然か、気のせいですよ』と
答えたのですが、
その方は、脅えていて、
あくまで引取って欲しいと言って一歩も譲りませんでした。
『 ならば、その辺に置いておおいて・・・』と
言ったら、
ここに置いてゆかれたのです。」



「 そんな因縁のある仏像をこんな雨ざらしの
場所に放置して良いのですか?」

と母が、問うと、
住職答えて・・・

「 祟りなどありませんよ、私はそんなお話は、
信じていません、恐くも何でもないないですよ 」

とニコヤカにお答えになったとのこと・・・



  

この仏像がもし、ホントウに呪いの仏像なら、
住職は、この仏像を受け入れたあとも、
霊障で病気になったり、
不慮の事故に遭ったりする事もあり得るはずだ。



この仏像は、数年間、相変わらず軒下に放置されていましたが、
住職の身に、
何の変わった事もなく、平穏無事に生活し、
長寿を全うして、数年前に大往生されました。

住職が他界されたあと、
いつしか、この仏像は軒下から無くなっていました。



これは、私の推測ですが・・
たぶん、家庭ごみとして、普通に捨てたのだろうと思います。



祟りとか、因縁とか、霊障とか・・・
そういった不可解な事が「 現象 」として存在していることは
事実であると思います。



だだ、「 現象 」は、
それに対応する人の信念や、信心で姿を変える。

ある人には、祟りが「 現象 」として現われるが、
ある人には、それがまったく無い・・・
という事も多くある。



南無阿弥陀仏とは、
「 阿弥陀佛に身を委ねます 」という意味。

同時に、「 私の生命は、阿弥陀佛と一体です 」
という意味み含む。



この住職の心の中には、
「 阿弥陀如来 」
に対する絶対的な信仰と、
信念・しか存在していなかったのだと思う。



それは、ある意味、「 覚悟 」ではなかろうか。
阿弥陀如来と云うも、天照大神と云うも、
呼称や、信仰形態の違いあれど、
根本的な意味に於いては、同じである。



そういった心境の人には、
祟りや、霊障など寄り付く事は出来ない。

こういう覚悟を持った人の発する魂の波長は、
祟りとか、怨念とかの荒い波長を受け取る事が出来ないので、
受信したり、それに、干渉することはない。



恥ずかしながら・・・
私は、自称・宗教家ですが・・
そんな ‘ いわく付きの仏像 ‘ を気安く
受け入れることなど恐くて出来なません。

これ、即ち、まだまだ青いという事です・・・



まだまだ精進せねば・・・
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悟り??

2022-04-28 | 宗教


白ウサギ  問う・・・・・

   「 どうしたら悟りの境地 に達する事が出来るのでしょうか ? 」


導き兎 答える・・・・

   「 悟る ことは誰にも出来る。簡単さ。 」


 白ウサギ 
     「 意味が分かりません・・・ 現に私は悟りの境地に達していません。 」


導き兎 
   「 あんたの言う 悟り と何ですか ? 」


白ウサギ
      「 苦悩や、心の迷いから開放される事です 」


導き兎
   「 うん、そんな事誰でも出来てるじゃないか・・・ 」


白ウサギ
     「 導き兎様!! そういう詭弁はやめて頂きたい!!! 」

白ウサギ
    「 ならば、導き兎様の言う ‘ 悟り ‘ と何ですか!!! 」


導き兎
      持続だ !!!! 


白ウサギ
       持続 が悟り??  意味がわからん!!! 


導き兎
   「 今まで、悟る 機会は何度でもあっただろう!!!
    知恵のある人に教えられたり、
    実体験中で何かの思いが込み上げてきたり・・・
    美しい自然を眺めていて、フト何かを感じたり・・・
    感動する話を聴いたり・・・
    大きな失敗をして、懺悔の気持ちが込み上げてきたり・・・・   
    そういう機会は何度でもあったはずだ・・・ 
    そういった体験の中で、そのとき 何かを悟ったハズだ・・・
    そのときの ‘ 決意 ‘ 想い ‘ 信念 ‘  を
    そのあとも 継続し続ける事、 
 これを ‘ 悟り ‘ と言うんだ・・・ 」 

            
白ウサギ
「 ・・・・・・・・・・・・・ 」

導き兎
「 悟る 事など、誰でも出来る。
 悟り よりはるかに難しいのは ‘ 持続 ‘ だ 」

白ウサギ
    「 持続とは、言い方を変えれば 努力 と 忍耐 でしょ?  
       努力・忍耐が 悟り なら、全ての人間は死ぬまで楽は出来ない、
           それが 悟り と言えるのですか?? 」

導き兎
「  俺が言いたいのはなぁー  持続という行為のなかで、 
『 自分を忘れろ 』 ということだ。 
どんな些細なことでもよい、一度決意したことをバカになって
淡々と続ける。
そのときはじめて自分を忘れる事ができる。
自分を忘れた時、本当の自分が見えて来る。  」

 白ウサギ、今日もまた叱られた・・・・・
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弱い時こそ強いのです・・・

2022-04-18 | 宗教

東本願寺・名古屋別院



・・・南無阿弥陀仏・・・・

・・私の勝手な訳(東洋風)・・
降参しました、悪あがきはしません、お任せします



・・・南無阿弥陀仏・・・・

・・私の勝手な訳(西洋風)・・・
 弱い時こそ強いのです、全てを委ねます 

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行為の前提(動機)が運命を決める

2021-10-15 | 宗教


人の運命を決めるうえで
一番大切な核心部分を申し上げます。

親切・・・良い事です。

善行・・・良い事です。

愛行・・・良い事です。

慈善・・・良い事です。

笑顔・・・良い事です。

愛語・・・良い事です。

  

普通の人なら、
これらは誰でも分かることです。

  

ならば・・・

これを実践している人は、必ず幸運であるか?



ハッキリ申し上げて、
絶対的な因果関係はありません。

幸運な人もいれば、
生涯不幸の連続の人もいます。



なぜ???   そんな不条理な・・

徳を積めば自分に帰って来るんじゃないの???
どうして・・そんな事になるの?
因果報応という教えは嘘なの?



耳障りの良い言葉で逃げる事が一番無難ですが・・

そういう手法は宗教屋さんにお任せして、
ハッキリお答えします。



親切・・
善行・・
愛行・・
慈善・・
笑顔・・

それ自体は、単なる「 行為 」です。

「 行為 」に見返り(ご利益)を求める者が
貪欲な宗教屋さんになります。



それ故・・宗教やさんは
人を支配する為の手段として、得意満面になって
ふざけた詭弁を発する。

そういう詭弁に振り回されて遠回りをすることを避け
執着を断ち切る意味で、

 善行に意味などない、
良い事をしても、良い事は帰って来ない 

と・・・・・・常々申しています。

この言葉・・
以前ある年配の熱心な宗教信仰者から
メールでお叱りを受けたことがあります。

「 あなたは因果報応を信じていないのか?
未熟者!!もっと勉強しなさい!!」

「私は、あなた位の歳の頃は、
毎月必ず大阪から伊勢神宮に通い、月参りしました。
あなたも徳を積みなさい!!」

この御方にとって、何があっても
毎月必ず伊勢神宮に参拝することが
「徳を積む」ことのようです。

素直に「ハイ・・御忠告ありがとうございます。」
と返信申し上げました。



単純な宗教屋さんは言います・・・

「 偽善でもなんでもよい、動機など関係ない、
とにかく善行せよ、徳を積め!! 」

 ふざけたこと抜かすな!!! 

  謹んで申し上げます。 

行為が人の運命を作るのではない!!!

あんたは、その言葉で多くの人を不幸にした!!



 行為の前提(動機)が運命を決める 

親切・・善行・・愛行・・慈善・・笑顔・・

その前提(動機)が、コンプレックスであったり、
トラウマが原因の自己虐待であたりする場合も多い。

自己顕示欲・・支配欲・・・依存症の合併症状・・

人間の深層心理は千差万別であり、奇怪過ぎる。

幼い頃から、気が優しく、親孝行で愛深い人間が、
成人したころ、親を憎み出し・・
惨殺したという事件もある。

これは・・・まさしく・・
      
常に善い子を演じざるを得ない状況のなかで、
親からの「誘導・圧力・支配」への忖度。

この負の感情の蓄積が自我の形成の段階で、
攻撃に転じ、爆発。
     

親孝行は最大の美徳・・・これは真実ですが。

その「美徳」を行う前提(動機)が肝心なことである。

行為だけに価値を求める固まった心の方向性は、
自分が支配できる人間に対いて
「脅し」「誘導」という方法を無意識の内に行なう。

「愛情という名のオブラートで包まれた支配欲」
これが一番怖い・・

この魔物は支配下にある人間の自由意志を押し殺す。

その反動はいつか、何らかの形で爆発して表に出る。

魔物を呪文で封印して逃げ続ければ、魔物は肥大化し続ける。

臭いもの蓋をしても解決にはならない。
この魔物と向きあって相撲をらねば前に進まない。

結果的に魔物と和解するまでは
魔物は消えない。


共嗜癖(きょうしへき)であることもよくある。

この場合、必ず不幸を引き寄せる。
不幸とは・・自分に不利な選択を何度も繰り返すこと。 



共嗜癖とは、自分と特定の相手が、
その関係性に過剰に依存。

その「人間関係に囚われている関係」への嗜癖状態。
(依存状態)



単純な宗教屋さんや
宗教系の自称・ベテランカウンセラーの中には・・
「 共嗜癖 」「共依存」
という言葉すら知らな人も存在する。

以前、付き合いのあった
ある偉い宗教の先生・・・
心理学も勉強していると自称して
カウンセリングを行っいるお方ですが、

この御方に、「共依存」という言葉を出したら、
「 なんですか? それ? 」と言われました。

何ともお粗末な・・・

こんな事は当然な事であり、
雑学程度に近代心理学を齧った者なら、
分かり切っているお話しです。

この御方は、
年間、数百冊以上、本を読んでいるとのことですが、
たぶん・・・数百冊の本の中から、
「自分の知識や信念に一致する言葉のみを探し続けている。」
と推測しています。



すばらし!!! あなた慈悲深い!! 
あなたは徳の高い人だ!!

必ず神様が願いを叶えてくださる。

   

持ち上げて煽てる。

その場は甘い蜜でも、
甘い耳障りの良い言葉を無条件に信じると、
何時まで経っても堂々巡りとなる。

 神様は万人に対して公平です。
見返りを求めるような取引には応じません。
運命はその人の選択の自由であり、
神様が饅頭持ってきた人のみに
エコヒイキしたりはしません。



自分の行為の前提と、自分の内に潜む、潜在的な特性を
勇気を持って抉り出す。。

これに成功した者のみが
左右に揺れる振り子の重りを、ピタリと止め、
真上に跳ね上がることができる。

恐れるべからず!!

心配無用  必ず勝てる!!!

勝たねばならぬ・・・














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輪廻転生・・前世???

2021-08-25 | 宗教


輪廻転生・・・・・

輪廻転生とは、人は死んだあと生まれかわる。



輪廻とは・・・車輪が回るという意味。
転生とは・・・生まれ変わるという意味。

バラモン教の考え方を仏教が取り入れた。

輪廻転生・・・真実か???

空想の産物か???

「絶対にアル」
と断言する宗教関係者もいる。

確証も無いのに断言することは非常に危なっかしい行為だ思う。

ある新興宗教の教祖様は、
誰々は・・・誰々の生まれ変わりである・・・
などど断言する。

ただし・・・不思議な事に、
その内容は時々訂正される。

「kさんはナイチンゲールの生まれ変わりである」
と言っていたにも関わらず・・・
状況が変わると、

「 Kさんは実は悪魔の生まれ変わりです」
などと言って簡単に前言を翻す教祖様もいるらしい。



私の考え・・・・

輪廻転生は全面肯定も完全否定できない

輪廻転生が真実だとしても、前世を知ることは絶対に出来ない

「あなたの前世は〇〇です・・・」

と発言する宗教家、スピリチャルさん、右脳教屋さんがいる。

なかには魂胆があって嘘をついている人も存在すると思うが、
本人は純粋で真面目な性格で、
大真面目に言っている場合も多いと思う。

胎内記憶と呼ばれるのも、その人にとっては真実であるが、
科学の領域ではない、「心のお話し」と思っています。

もし、仮にの話ですが・・・

世間で有能と言われている
霊能者や拝み屋さん、神通力のある宗教家を10人集めたとします。

この10人の方と個別に面会して、私の前世を見てもらったとします。

そのとき起こり得ること・・・

「あなたの前世は・・・ウサギです!!!」


と全員が断言する・・・・
若しくは過半数の先生がおなじ答を出だろうか???



いや・・・
「そんなことは絶対にありえない」と思います。

これは正常な感覚を持ったひとなら、
「そんなこと絶対にありえない」
と思うはずです。

A先生は・・・
「あなたの前世は戦国武将です」

B先生は・・・
「あなたの前世は坊さんです」

C先生は・・・
「あなたの前世は柿本人麻呂です」

こんなな感じになると思います。


この場合・・・
どの先生の話が真実なのか???

即ち・・・・・
前世は何だったか???の問いに対して、
 答は無い・・・ 
が適切な答。

肯定も否定もできない。

前世はあるかも知れないが、特定は絶対に不可能。

もし、それを特定したり断言したりするエライ先生がいたら。

1・・・笑って聞き流す。

2・・・神話の世界、文学の世界の話として受け止める。

3・・・心の問題としての、観念として受け止める。

4・・・勧誘や支配を目的としているようなら近づかない。

5・・・とことん矛盾を追求して論破する。
(危険を伴うのでこれは避けた方がよい)

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霊能力と人格とは無関係。

2021-08-24 | 宗教

   霊能者 
と自称する怪しいお方が多く存在します。

霊能者は怖いです。
霊能力と人格とは無関係です。

例外的に・・ごく稀にではありますが、
霊感強く、人格も優れた立派なお方も存在します。

残念ながら
そうでない人も多く存在しています。



「陰陽師」・・・と名乗る輩もほとんどが、
「危ない輩」に属します。



怪しい霊能者・陰陽師・・
詐欺師よりタチが悪いです。

金品を奪う盗賊よりも、罪は重い。

詐欺師は人を騙して金を奪いますが、
心や魂まで奪いません。

金は奪われても、働けば取り戻せます。

でも、心や魂を支配されたり、傷つけられたりしたら、
取り戻すことは至難の技・・・

怪しい霊能者は、奇怪な能力を使って、
飴とムチで支配して来ます。

最後は判断力を奪い、奴隷にして
金を搾取し、家庭を目茶目茶にする。

そのうえ心や魂に大きな傷を負わせ、
挙句の果てには、その人を廃人にしてしまいます。

まさに人間の生き血を吸う吸血鬼です。



こういう輩の特徴は、
「 褒めと、脅し、」
初めは相手を褒め倒す。
同時に怪力を使って、「良い事」をお起こす。

例えば
急に大金が舞い込んだり・・・
急に病気が治ったり・・・

依存体質を植え付けることに成功すると、
そのあと「脅し」の技を繰り出す。

前世の因縁云々・・ 悪霊云々・・・
 
先祖の祟り・・・(先祖が祟ることなどあり得ませんり)

水子の祟り・・・(水子の祟りなどありません)

そういった、訳の分からない話
(宗教的観点から見て)を持ち出し、
少しずつ恐怖心を植え付けて来ます。

そして、相手の恐怖心と不安感に付け込み、支配して来ます。

飴とムチを巧みに使い分ける・・

これ、ヤクザ屋さんの使う技と性質は同じです。

霊能者の言う祟りとか、悪霊とかは、
ほとんど場合、その霊能者自身が
「念」の力で作り出した、「 念の合成 」です。

これ即ち、
「 虚像 」「 妄念の塊り 」です。
それを他人に張り付ける。

即ち、奇怪な力を駆使して、
自作自演のドラマを相手に張り付けて、
演出しているだけ。

怪しい霊能者に近付くと、
霊能者の心が描いた、
「 奇怪なドラマ 」の共演者にされてしまう。

更に厄介なことに、霊能者は・・・

必ずしも悪意をもってやっているのではない。

怪しい霊能者は、自分は世の為人の為にやっていると、
大真面目に信じている場合も多くある。

これらの輩のなかには、
純粋で、心が優しい人も多く存在する。

純粋で心の優しい人の言う事だからと言って
それが必ずしも「正しい」訳ではない。

むしろ、そういう人が一旦、妄念に取り憑かれてしまうと、
その人のばら撒く罪悪は甚大である。

悲しい事に、こういった怪しい霊能者自身も、
魔物に支配されている。

この手の方は、左翼思想に傾倒し易い。
私はこの手の犠牲者を、

「 スピリチュアル左翼 」と呼ぶ。

よくテレビに登場する女装したシャンソンを唄う、
化け物みたいな情熱的なお方も、この類です。

有名な物書きの尼さん、
(欲情因縁を持つ色ボケ老人、肩書は立派な僧侶)
も同類だと思います。

怪しい霊能者、スピリチュアル左翼の方は、
反戦とか・・平和とか・・・愛とか・・・感謝とか・・
耳障りの良い言葉を呪文のように連呼するが、
結果的に多くの人を不幸にする。

因みには、名古屋の白ウサギには
霊能力などありません。

時々、不可解な力を発揮することがありますが、
これは霊能力や神通力ではありません。

ならば、何だ??? とよく聞かれるます。

これを私は「 ウサギセンサー」「 ウサギパワー 」と
呼んでいます。

是即ち「 芸 」です。

意味不明・・・ふざけているのか?

と思われる方もいるかも知れませんが、
どう判断するかはその人の自由であり、
 実績が全て 

 信用が全て 

と思っています。

狂気を大真面目な顔で語ってはなりません。

アット驚く奇跡を、最後は笑って終らせる。
これこそが職人芸と思っています。

はっ、はっ、はーーー

でなければ危険です・・・



以前、私に縁がある人に対して、
洗脳・霊的支配を目論む危険な霊能者
と対決したことがあります。

この怪力者Xの霊能力はインチキではなく、
ホンモノでした。

怪力者Xは、
巧妙な技で、相手に「前世の記憶」を植え付けてしまう。

「前世の記憶」とは・・・もちろん怪力者Xが描いた
虚像です。

怪力者Xが、相手を支配するに都合のよい
フィクション。

前世の記憶など・・・絶対に想いだすことは不可能です。

前世の記憶とは・・・潜在意識のなかで合成された虚像です。

霊能者は怪力で人の心に入り込み、虚像を植え付けていました。

相手の意識に植え付けた「前世の記憶」をネタにして、
相手を脅す。

実に巧妙で、恐ろしい技の使い手でした。

皮肉な事に・・心優しく純粋なひとほど鴨になりやすい。

正直言って、怖くて逃げだしたくなりってしまいました・・・

毅然とした態度で臨みましたが・・
実は・・・怖くてオシッコちびりそうでした。

捨て身でバカ道まっしぐら・・・
詳細は言えませんが・・・

最後は・・怪力者X・・・ウサギ仙人に降参・・

 あっ、はっ、はー 
で「 技あり!!! 」でした。

勝たねばならぬ・・・・
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偉いひとになる必要はない。

2021-05-15 | 宗教


黒狐兎犬が宣うた・・・



黒狐兎犬の霊言・・・



偉いひとになる必要はない。

それよりも大事なことは・・・

「分をわきまえる」と云う事だ!!!

偉くなくても、正しく生きなさい!!!

偉くなくても、誠意を尽くしなさい!!

ワン!!  ワン!!!
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心霊写真の真偽。

2021-03-22 | 宗教
恐~い!!お話し。

先日の夜、携帯が鳴る。

S子さんだった・・

S子さんと喋るのは5年振りだった。

S子さん
「じつは、仲の良い友達から頼まれまして・・・
ウサギ様に観て頂きたい写真があるのです」

その言葉を聞いた瞬間、察しが付いた・・・

「はい、わかりました・・メールで送信してください」
と答えて早々に電話を切った。

翌日、S子さんからメール受信。

添付されている写真を見た瞬間、
さすがのウサギ仙人も震え上がった・・・



晴天の公園・・青く澄み切った空・・・
X子さんと友達の女性が並んで記念撮影。

・・・後ろには綺麗な池・・・
ただ・・・2人の間にいない筈の見知らぬ人間の姿・・・

・・白いシャツに黒のセーター・・・紺色のスカート・・・
手には鞄を持っている・・・
黒髪のスタイルの良い若い女性・・・
ハッキリと映っている。



この女性・・足と首と後頭部がない(@_@)

ウサギ仙人も思わず鳥肌(>_<)・・・



ウサギ仙人の認識としては・・・
心霊写真と呼ばれる写真の98%は
光の屈折でレンズに横から入った光学的原因。
デジタルカメラの場合、電気的に他のデータが干渉。
ただ、奇跡的にホンモノの心霊写真も存在する。
(心霊写真と呼ばれる写真の中で100件に1~2件あるかないか)

・・・ウサギ仙人の見解・・・

写っている足と首と後頭部のない女性は
死人の霊が映った映像ではない。

生きている人間を撮った映像である。
但し・・・その人が今現在、
生きているか?死んでいるかは定かではない。

写真を見ると確かに強烈に怖いが・・・
霊が映り込んだ映像ではない・・

デジタルカメラの データの干渉であると思う。
まったく関係のないデジタル写真のデーターが
奇跡的に、この写真データーに干渉したのだと思える。

しかしながら・・・写真を見ると、とにかく怖い。



ただし、これは別の意味での心霊写真であると考えます。

「このような電気的な偶然がなぜ起きたか?」

そこが重要。 この写真に写っているX子さんは、
この頃から体調を崩しているとのこと。



Xさん・・・・もし拝み屋さんに相談したなら、
「祈祷が必要です」と言われるでしょう。

自称・霊能者に相談したら・・・

「霊が憑いています」と言われ、
除霊と称して高額な金を請求されるでしょう。

その後、飴とムチで「活かさず殺さず」
骨までしゃぶられる・・・



自称・宗教家・ウサギ仙人は、
そのような回答はしない積りです。

最大の問題は、
「なぜ、このような偶然を引き寄せたか?」

その偶然の背後には・誰かが発する強い「執念」



このようなパターの場合、私の経験からいえることは、
  
背後に強い欲情と執着・・

色恋沙汰・・・

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徳は積むものではなく 、捨てるもの・・忘れ去るもの。

2021-03-20 | 宗教


黒狐兎犬が宣うた。。。。

「受けた恩は死んでも忘れず、与えた恩は、すぐに忘れる」

・・これ即ち。。

徳は積むものではなく

「捨てるもの。忘れ去るもの」

ワン!!!  ワン!!!
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神仏を信じていても、信じていなくても、事故に遭います。

2020-12-12 | 宗教


・・誰かが問うた・・

神仏を信じ、信仰深い人は事故に遭わないか?


・・白ウサギ仙人答えて曰く・・
神仏を信じていても、信じていなくても、事故に遭います。
事故に遭う、遭わないは、
「危機管理」が出来ているか?・・出来ていないか?
ただそれだけの差です。

しかしながら・・

「危機管理」をしていても事故に遭う事があります。
それは、「悪運」です。
ならば、「悪運」とは何か?

1・確率的要因。
2・心の方向性による、無意識の選択。
3・自己否定感による自己破壊。
4・祖霊との関連性に起因する連鎖的弊害。
5・周期的な要因。

・・問・・

神仏を信じ、信仰深い人は病気にならないか?

・・ウサギ仙人答えて曰く・・
神仏を信じていても、信じていなくても、病気になります。

・・問・・・
神仏に願えば、難関な試験に合格するか?

・・白ウサギ仙人答えて曰く・・
素質と、努力の成果が合否を決めます。
合否は、願掛けとは無関係です。

・・問・・
ならば、祈願・祈祷・お守り・・・
これらは無意味???


・・ウサギ仙人答えて曰く・・
はい、無意味です。

但し・・・それは「ご利益」という打算に対して
「無意味」と申しているだけです。

「けじめ」「区切り」「節目」「作法」「憶念」
「神社仏閣の維持ための寄付」
という意味に於いては有意義。

これは「文化」であり、「文化を重んじる」という事が
「信仰」の意義でり「品性」である。

それ故に、蒲鉾の板に下手糞な字で神様の名前を
勝手に書いて神札を作ってはいけない。

蒲鉾の板は無意味でも、
この行為は「神への冒涜」

神を信じる・・
神を信じんじない・・
神を信じる振りをする・・

それは個人の自由であるが、

「冒涜」は赦されない。



・・問・・
信仰深く慈悲深い人が事業を
はじめた場合、必ず成功するか?


・・白ウサギ仙人答えて曰く・・
信仰深い人であっても、潰れるときは潰れます。

・・問・・・
ならば???
「 神仏を信ても信じなくても、結果は同じ 」
という事では?・・・・



・・白ウサギ仙人答えて曰く・・・

はい、仰る通りです。

人間、死ぬ時は死にます。
病気になるときは病気になります。
交通事故に遭うこともあります。
家庭不和に悩む事もあります。
対人関係に悩むこともあります。
事業に失敗することもあります。

ただ・・ここからが肝心です。
「既に起きたこと」
「これから起きそうなこと」
これに対して、どのように捉え、
どのように感じ、
どのように対処するか、
そして、そこから何を学び、何を掴み取るか?
これこそが、宗教の存在意義なのです。

・・問・・・
それな事なら・・
神仏を信じ、信仰したりする必要など無いと言う事に
なってしまうんじゃないですか???


・・白ウサギ仙人答えて曰く・・・

はい、仰る通りです。

別に神仏を信仰する必要などありません。

神仏を信じることより、
「謙虚な心」と「畏敬の念」、この二つのほうが
遥かに大切なのです。

・・問・・・
アンタそれでも宗教家ですか???


・・白ウサギ仙人答えて曰く答えて・・・

はい、私は宗教臭い宗教が大嫌いな、自称・宗教家です。



信仰深さと、人格との絶対的な因果関係はありません。
思想や信念に対しても人格との相関関係はありません。

これを混同すると痛い目に遭います。

現に、ヤクザさんの事務所には、
立派過ぎるほど立派な神棚が必ずあります。

ヤクザ屋さんは、一流?であればあるほど、
正月、節分、その他の神事などの、
作法を徹底しています。

「信心深い人は、みな立派な人だ」
というなら、
ヤクザ屋さんは、
徳の高い高貴な方々であるという事になります。

これは、宗教団体の信仰深い活動家や、
「偉い先生」に対しても同じことが言えます。

ヤクザ屋さんと、宗教団体の自称・エライ先生とは
ある意味、類似しています。

「自分は徳を積んで、他人より高い位にいる」
などと思いあがっている
腐った信仰者や、指導者より、

特に信仰を持たない、謙虚な一般人のほうが霊的にみて、
立派であり、遥かに勝る事が多い。



偉い人になる必要などない。

肝心なのは、

その人が、何を持つかではなく
「 何であるか 」ただそれだけです。

何を行い
何を考え
苦しみから何を学んだか
喜びから何を創造したか

ただそれだけです。

神様は、別にお願いされなくても、
全てを知っているのです。
神様は、言われるまでもなく、それを基準にして、
粋な計らいをしてださるのです。


一寸先は光です
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美味しものが大嫌いな人

2020-11-23 | 宗教

20年以上前のお話ですが・・
当時勤めていた会社に、X君という男がいました。
X君(当時35歳)は奇怪な性質の持ち主でした。

X君は、美味しいものが嫌い・・・

会社の行事や旅行などで、
幕の内弁当とか、海鮮料理、
懐石料理、高級な和牛・・
など、
豪華な食事を出されると無表情になり、無口になる。
そのあと必ず少し不機嫌そうな顔をする。

X君、あとから私にだけは本音を漏らす

「僕は美味しいものが大嫌いなんだ・・」

何とも奇怪な性質・・・



ならば何が好きなの???

X君答えて・・・

どら焼き・・・アンパン・・・菓子パン・・
大盛ラーメン・大盛チャーハン・・・
スーパーに売っている安い白玉ウドン・・

懐石料理とか、海鮮料理、ステーキ・・・
高い金払って、まで食べたくない・・・



私は問う・・・
会社の行事や、会社の慰安旅行なら、お金は全て会社の負担、
それでも、たまには少しばかり
豪華な料理は食べたいと思わないのですか?


X君答えて・・・
お金の問題ではない、高い安など関係ない、
僕は美味しいものが嫌いなんだ・・・
豪華で美味しい料理出されると
腹が立つだけだ・・



わたしは、こういう特殊な人間から慕われる
傾向があるのでしょう。

なぜかX君、私に親切にしてくれて、私に接近して来る。
自然と仲が良くなり、休憩時間など、
一緒に行動するようになりました。


私は感じました・・・・



彼は・・破滅の道を選ぶかも・・・



彼の「美味しいものが嫌い」な性質。
これは発達障害のような気がしますが、

この背景には、
彼の背後にある「目には見えない力」が要因となっている。

宗教的な言葉で申せば「霊的な要因の一端」であると思います。

しかしながら、真偽は別として、
そのような非科学的な推論を根拠に接したり、
対処することは御法度であると思います。

右脳で感知しても、左脳で分析、判断、対処しなければ
狂気の世界に入ってしまう。

彼とは10年位付き合いがありましたが・・・

X君・・最後は・・・
残念ながら・・
自ら最悪な選択をしてしまいました・・・

私の力らではどうすることもできませんでした。


それでも・・やはり・・

右脳で感知しても、
左脳で分析、判断、対処、対応・・
適切だったと思いっています。




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この金庫は私が死んでから開けなさい

2020-10-12 | 宗教

これは本当にあったお話し・・

亡くなった、、あるお方が、、
生前、遺言を残していた。

「この金庫は私が死んでから開けなさい、
それまでは絶対に開けてはいけない」

これが遺言だった。



そして・・

某氏はお亡くなりになりました。

金庫の鍵の在り処は分かったいました。

遺族は想像しました。。。

金庫中身は?

金塊?・・

株券?・・・

現金?・・・・

それとも・・・・
最後の言葉を綴った帳面??・・・・・

金庫を開けるときがやって来ました。

金庫を開けると・・・

金庫の中には何もない・・・

よく見ると・・
1通の封筒が置かれていました。

封筒のなかに便箋が一通。

便箋を取り出しました・・・・

便箋には・・・ひとことだけ記されていました。

「残念でした」 



ウサギ仙人思うに・・・

某氏は・・・・遺族を試した・・・

金庫を開けて、手紙を読んで

笑うか?

怒るか?

もし、遺族が笑ったとしたら・・・
亡くなった某氏は・・
安心して成仏できたはずです・・・

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槍で突き殺す。

2020-09-28 | 宗教

私の父は68歳亡くなりました。
亡くなる前は、ガンが全身に転移していました・・

激痛に苦しみ続けました。
痛みを抑えるために強い薬を投与。
薬の副作用もあり、毎日幻覚を見続けました。


枕元にぶら下る点滴の容器を見て、
「葬式の提灯ぶら下っている...」

あれは、点滴だよ・・・
と説明しても、

「イヤ!! あれは絶対に葬式の提灯だ!!!間違いない!!!」

と悲痛な顔で主張する。



病室に置かれていいるテレビを指さして、
「葬式の祭壇がある。。。」

あれは、テレビだよ・・・・

「イヤ!!! あれは間違いなく葬式の祭壇だ!!! 」

父のそういう姿を見るのは悲しく、辛かった。

その時、おもいました。。。

 見えないものが見えるのは脳の異常 

 幽霊の正体は、脳内現象 

神や霊が見えたら危ない。。。。

神や、死者の霊の声が聞こえたら危ない・・



幸いなことにウサギ仙人。。
幽霊や神様を見たことは一度もありません。

感じることは
ありますが見えたり聞こえたりはしません。

感じた事を、「 見えた 」と表現する事はありますが。
「目に見えた」のではなく・・・
「心に強く感じた・・」が真相であって、


「見えた・・」とは、あくまでも文学的表現であり、
科学とは無縁の世界です。

眼に見えていない・・・
これは「事実」です。

眼には見えなくっても、心に伝わる・・
これは「真実」です。



正法眼蔵に記された、道元禅師の過激なお言葉・・



「瞑想中、神仏の姿が現れたら、心の中で槍をイメージして突き殺せ」

道元様の偉大さを感じます。



もし、神仏の姿が眼に見えたり、霊のお告げが耳に聞こえたりしたら、
槍で突き刺してやるつもりです。

宗教家と名乗るからには・・・
此処までの覚悟が要求されれると感じるからです。

南無阿弥陀仏



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神仏は目に見えない。もし見えたら幻覚。

2020-07-07 | 宗教

美貌・・容姿・・財産・・
現金・・強靭な肉体
・・豪華な家・・車・・貴金属・・・
特権・・地位・・肩書き・・・名誉・・・

無いより、あったほうがよいに決まってる。

豊かな事は尊いことであり、
これらを否定したら、個人主義の上に立脚した、
文明は成り立たない。

ただし・・・
価値観と人間の意識が、
この次元で止まってしまう事で、これらの要素が毒となる。

富 ・・ 快楽 ・・ 豊かさ・・繁栄・・
これら、全ては、
「 目に見えるもの 」
即ち、実感としての現実である。

この、「 目に見えるもの 」を信じ、
これのみを妄信的に追い求める者は、
やがて、これらの ‘ 富 ‘の奴隷となり、
本来の自分を失ってしまう。

一番の不幸とは、自分を見失う事である。

絶好調なときも、ひと時は
あるかもしれないが、自分を見失うと、
最終的には、孤独・失望・未練・
落胆・不和・虚無感の暗闇に引きずり込まれる。

そういう不幸な人はたくさんいる。

宗教の真の目的とは、
目には見えないモノを見る 
事にある。

 目に見えないモノを見る とは、
霊を見たり、神や仏の姿を映像として見るという意味ではない。

もし、神仏や霊を映像として見たなら、
それは、幻覚であり、自分の内部で起きている、
「 脳内現象 」であり、
「 真実 」ではない。

神仏の声など聴く事はできない。
もし聞こえたら、それは幻聴・・・

先に述べた、「 見る 」とは、
「 観る 」 = 「 静観する 」という意味である。

「 静観 」とは、
事物の奥に隠された本質的なものを見極める
という意味。
「 静かに見る 」のではない、
目で見るのではなく、 心で観る 

たとえ、目の前が、辛酸な、惨憺たる状況であろうとも・・
栄華を極めた状態であろうとも・・・

その背後にある、「 見えないもの 」を見ることが出来ない人間は、
この世に生まれてきた最大の意義と、権利を放棄した事になる。

目に見えないものを観たとき、
自分にとって、、最高にして、最大の幸福を観る。

他者との比較ではない、「 自分が全て 」なのだ。

「目に見えるもの」 のみが全てと考えるなら、
全ての人間が平等ではない、
「 全てが不平等 」である。
生まれつき虚弱なひともいれば、強靭な人もいる。

生まれつき裕福な環境で育った人もいれば、
貧乏な環境で育ったひともいる。

五体満足で生まれた人もいれば、
障害を持って生まれた人もいる。

誰かが言うでしょう・・・

おれは善良に、真面目に生きている、
悪に憧れている訳でもない・・
なのに、なぜ!!不平等なんだ!!!
神も仏もあったものか

その気持ち、痛いほど分かります・・
だからこそ・・・
「 目に見えないもの 」が存在するのです。

誰かが言うでしょう・・・
この、ウサギオヤジ!!!屁理屈ばかり
言いやがって!!!詭弁をいうな

ご最もでございます・・
だから、宗教はバカにされるかもしれません・・



しかしながら、

理論的な判断だけではどうにもならないのが、

‘ この世 ‘ なのです・・・

そこから一歩踏み出さない事には、
世のなか真っ暗闇で、人生が「 徒労 」となってしまう。

目に見える世界は不平等だが、
それは、その奥にある、
「 絶対的なものを観る為の道具として、現われる仮の姿 」
見えないもの とは  

 自分の内に宿る神 

 自分の生命の根源である‘神‘  

 自分の内に宿る生命の偉大さ 

 自分を見守る、親の心・先祖の想い 



 全ての人間は、神の分霊・仏の化身 

全ての人間は根底で繋がっていて、一体である



これを知らせる為に、釈迦が現われた。
これを知らせる為に、キリストは現われた。

 生きてるだけで丸儲け 
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