死後の世界はあるか ないか
仏教は当然 それを認める立場であると
若い頃は 勝手に思い込んでいた
でも
それはチョット違うようだ・・・・
膨大な仏教の経典を出来る限りではあるが
紐解いてゆくと
お釈迦様は 死後の世界 について
明確な事は何一つ言っていないような雰囲気・・・
あれーれー ?
おかしいぞ・・・・・
さらに、よくよく研究を重ねた
お釈迦様は死後の世界について
「 無 記 」 ( 肯定も否定もしない )
立場のご様子
その事は あまり触れたくなかったみたい
お釈迦様は
「 そんな話は役に立たないから語りたくない 」
というような事を言われたみたい
なぜ 無 記 の立場なのか
永遠の謎かもしれない
お釈迦様・・・・
それは チョット 意地悪 なんではないですか・・・・・
と言いたくなってしまう
お釈迦様の言動を
経典だけから総合的に解釈すると
人間死んだら、無条件に 西方極楽浄土 に行く
死んだと同時に皆 解脱して
仏 のもとに吸収される ・・・・
チベット密教 では、
これを ポア と言うらしい
宗教団体の オーム は 、 この言葉を勝手に
解釈して、 だから 人を殺しても 良い
という誤った思想を作り出してしまった
結果、オーム事件で 言葉のイメージをを悪くされてしまった
チベット仏教さんにしてみれば
大きな迷惑
同じ日本人としてお詫びしたい思いがして来る
もちろん、現在 インドやチベットには
死後の世界や 霊魂 を肯定している方たちも
お見えであるとは思う
でも・・・
釈迦の 言動をそのままストレートに解釈したたら
やはり、 我々のイメージする 霊魂 など存在しない
と言う事になってしまう
日本の仏教 でも 死後の世界を 認めていない宗派がある
すなわち 個別の霊魂 は存在しないということ
わたしは 先祖代々 親鸞聖人 の開いた
東本願寺
東本願寺でも、 死後の世界や霊魂 は認めていない
それ故、 本願寺では、死んでも 位牌 は作らない
その代わり 過去帳 という木の板を作る
一見 位牌 のようにみえるけど
位牌 ではない
いわば 死者の戒名を書いた名札 のような位置づけ
本願寺の考え方は
仏壇は阿弥陀如来を祭るところであり死者を祭るところではない
と言う考え方、
それ故、過去帳は
仏壇の隅に 何枚も重ねて ひっそり 置かれる
それとは逆に
真言宗 や 天台宗 曹洞宗 日蓮宗 臨済宗 などは
死後の世界 個別の霊魂 を認めている
だから 位牌 を作る
なんと 不可解な・・・・・・・・・
もし、個別の霊魂が実在するものなら
霊魂を認めない という見解が間違っている事になる
たいへんな事だ・・・・
本願寺を初めとする 浄土真宗 の信徒は
日本のなかでは 圧倒的多数 を占める
多くの 霊魂が 存在を認めてもらえず
悲しんでいる事になってしまう
いったい どう言う事なのか・・・・・・
つづく
仏教は当然 それを認める立場であると
若い頃は 勝手に思い込んでいた
でも
それはチョット違うようだ・・・・
膨大な仏教の経典を出来る限りではあるが
紐解いてゆくと
お釈迦様は 死後の世界 について
明確な事は何一つ言っていないような雰囲気・・・
あれーれー ?
おかしいぞ・・・・・
さらに、よくよく研究を重ねた
お釈迦様は死後の世界について
「 無 記 」 ( 肯定も否定もしない )
立場のご様子
その事は あまり触れたくなかったみたい
お釈迦様は
「 そんな話は役に立たないから語りたくない 」
というような事を言われたみたい
なぜ 無 記 の立場なのか
永遠の謎かもしれない
お釈迦様・・・・
それは チョット 意地悪 なんではないですか・・・・・
と言いたくなってしまう
お釈迦様の言動を
経典だけから総合的に解釈すると
人間死んだら、無条件に 西方極楽浄土 に行く
死んだと同時に皆 解脱して
仏 のもとに吸収される ・・・・
チベット密教 では、
これを ポア と言うらしい
宗教団体の オーム は 、 この言葉を勝手に
解釈して、 だから 人を殺しても 良い
という誤った思想を作り出してしまった
結果、オーム事件で 言葉のイメージをを悪くされてしまった
チベット仏教さんにしてみれば
大きな迷惑
同じ日本人としてお詫びしたい思いがして来る
もちろん、現在 インドやチベットには
死後の世界や 霊魂 を肯定している方たちも
お見えであるとは思う
でも・・・
釈迦の 言動をそのままストレートに解釈したたら
やはり、 我々のイメージする 霊魂 など存在しない
と言う事になってしまう
日本の仏教 でも 死後の世界を 認めていない宗派がある
すなわち 個別の霊魂 は存在しないということ
わたしは 先祖代々 親鸞聖人 の開いた
東本願寺
東本願寺でも、 死後の世界や霊魂 は認めていない
それ故、 本願寺では、死んでも 位牌 は作らない
その代わり 過去帳 という木の板を作る
一見 位牌 のようにみえるけど
位牌 ではない
いわば 死者の戒名を書いた名札 のような位置づけ
本願寺の考え方は
仏壇は阿弥陀如来を祭るところであり死者を祭るところではない
と言う考え方、
それ故、過去帳は
仏壇の隅に 何枚も重ねて ひっそり 置かれる
それとは逆に
真言宗 や 天台宗 曹洞宗 日蓮宗 臨済宗 などは
死後の世界 個別の霊魂 を認めている
だから 位牌 を作る
なんと 不可解な・・・・・・・・・
もし、個別の霊魂が実在するものなら
霊魂を認めない という見解が間違っている事になる
たいへんな事だ・・・・
本願寺を初めとする 浄土真宗 の信徒は
日本のなかでは 圧倒的多数 を占める
多くの 霊魂が 存在を認めてもらえず
悲しんでいる事になってしまう
いったい どう言う事なのか・・・・・・
つづく