
「 赦す・・・」と云う傲慢・・
何の恥じらいも無く犯している人を時々見かけます。

こういう人は 、何らかの宗教を信じていることが多いと感じます。
これが 「 宗教の落とし穴 」であるといつも感じます。

自動車に乗っていて停車しているとき、
後ろから来た車に追突された・・・
相手は謝罪したうえで誠意を持って対応・・
この場合、「赦す」は当然のこと。

誰かが、自分に対して反抗的な態度を取った・・
この場合・・・「赦します・・感謝、感謝・・」
では本質から外れてしまうと思います。

わたしは常々 ‘ 人を許す ‘ と言う言葉に対して
大きな警戒感を抱いています。
この言葉を軽々しく連発
する人を見ると何かの違和感を感じます。

聖書の言葉「言葉は神なりき」・・・真実です。

ただし、、口先だけの綺麗な言葉、
誠意のない呪文と化した言葉は
自他を欺くペテンです。
寡黙で不愛想だが、信望が厚く多くの人から
信頼されている人は多くいます。
世間は見ていない様で見てい見ます。

誰かに対して腹が立った瞬間、
許してあげよう と思った瞬間、
「 赦しません・・
許されているのは実は自分です・・ 」
自分に言い聞かせています。

「私から離れて行く者は落ちて行く人であるから、
気の毒な人です・・・
半面教師と思って、その人の幸せをお祈りします・・」
究極の傲慢・・
気の毒な善人・・のセリフです。
此処まで来ると、反社会の部類です。