幼い時に、事情があって里親に引き取られて育てらてた人がいたとします。
育ての両親は我が子と思って愛情深く育てました。
この事実は秘密にされていました。
子供が成人したころ、初めてその「事実」を知らされました。
育ての親は言いました。
「どんなことがあろうとも、この子は私の子供だ」
子供は思いました
「事実がどうであれ、私は今のお父さんお母さんの子供だ」
ここが肝心・・
事実と真実は別問題。
血の繋がりはなく、実の親子ではない事は「事実」
どんなことがあろうと、親子である
これが「真実」
事実でない事は納得できない・・
このような考えでは人生、苦しみがあるのみ。
混沌とした世界で、暗中模索の日々が死ぬまで続く。
(死んでも続く)
事実と真実を混同すると、
精神は衰退し、貧弱になる。
奥ゆかしさ、慎ましさ品性、とは
真実を見る眼
であると感じます。
但し・・・
その前提に、「誠意」が必要であると思います。
1つの誠意は、
立派な屁理屈100回語るに勝ると思う。
人間いつ死ぬか分からない。
徳を積む???
私は徳など積まない、
善行とは、天に宝を蓄える「貯金」ではないと思う。
徳とは・・捨て去るもの。
徳を積んでも何も帰って来ない。
恩は仇で帰って来ることも多い。
それでも・・
善意と誠意を尽くす・・
これが人間に与えられた「特権」
この特権に気付いたとき、
「真実の世界」が見えると思う。
「私は徳を積んでいる」・・
「私を見習って、貴方も徳を積みなさい」・・
などと戯言を言う。
そういう輩を多く見たみた・・
そういう私も以前は徳を積んでいる積りになっていた。
いま思えば、恥ずかしい限りである・・
誠意と真実を観る眼
大切に生きて行きたい。
生きてるだけで丸儲け。
耶蘇傳曰く・・
弱い時こそ強いのです・・・