名古屋の白ウサギ・1964年生・

自称、宗教家・宗教家は、職業ではなく「生き方」です。
職業・会社員

一流の詐欺師

2023-10-11 | 思う事


「笑顔を絶やさず、親切で、心優しい愛情深い人間」

素晴らしい人だと思う・・・



されど・・・悲しいことに・・

物事には両面がある。

皮肉ななことに、一流の詐欺師は
同じ条件を満たしている。



一流の詐欺師は、
邪悪な目的を達成するために、
全身全霊で
「笑顔を絶やさず、親切で、
心優しい愛情深い人間」
に成りきる。

一流の詐欺師は、
良い人を演じているのではない、
「成りきっている」

善良なひとを巧みな技で騙す
ツワモノを見たことがある。



それは中途半端な演技ではなく
命がけで「成りきる」のである。

生半可な演技ではない、
決死の覚悟をもって、
「善人」に成りきっている。

これが出来なければ
人を騙して多額の金を巻き上げることは
できない。

これぞ、 究極の邪悪 



それ故に・・・
被害者は騙されたことがわかっても、

詐欺師lを心の底から憎むことができない。
まさに洗脳状態に陥っている。

 信じていたのに・・
詐欺師だったのか・・
悲しい・・
悔しい・・
でも・・
あの人なら・・憎めない 

と・・・思ってしまう。

「根こそぎ奪っても、被害者に恨まれない」

これが一流の詐欺師

人の心に入り込み、人の心を蝕み、
金品を詐取する・・

愚劣な行為である。



即ち、

「行為や思想、素行、人柄のみを以て、
その人の本質を知ることはできない」

「限りなく優しく、限りなく邪悪な人間」
もこの世には多く存在する。



詐欺師という存在は
例外的な特殊な存在である。
世の中、善良な人の方が圧倒的に多い。

悲しいことは、
ごく普通の善良なひとが、
新興宗教やスピリチュアル屋さんの
世界に入り込んでしまうこともある。

怪しい宗教や拝み屋さんの餌食になった場合
最終的には大切な魂まで
蝕まれてしまう。

その過程に於いて、
「善人に成りきることが詐欺師の必須条件」
と同じ構造を見受けることができる。

このメカニズムは悪意の有無とは無関係である。

これを私は「宗教病」と呼んでいる。



「人に意地悪をしなさい」

「他人を傷つけてもよい、
自分の利益のみを追求しなさい」

「人の気持ちなど考えなくてよい」

このよな話を聞かされたら、
明らかにオカシイ話である。

明らかに理に適った話ではない・・
それ故、
「落とし穴にはまる危険性は少ない」

良識のあるひとなら、
このような話は
笑って聞き流すだけである。



自称・善人や、
新興宗教の
思いあがった指導者は自信満々に宣う・・

 天に宝を積みなさい・・
善行を積みなさい・・
愛を与えなさい・・
必ず
引き寄せの法則で、
富と幸運が引き寄せられます・・



「言っている言葉」は、間違った言葉ではない。
その「想い」に於いて間違いはない。



されど・・
得意満面になって、
居丈高に宝刀を振り回す方々に
お尋ねしたい・・

 善行とは「積み立て保険」なのか??

保険とは、「取引」である。
取引で善行を行う???

「宝」の定義が問題であると思う。

「宝」とは・・
自分の行いに対する「対価」なの???

「善行を行う」
「徳を積む」とは??

対価を信じて積み立て
保険に加入することなのか?

なんだかオカシイ・・

言葉に出さないだけで、
地道に生きる、
謙虚なごく普通のひとなら誰でも
分かっている。

損得の問題ではない・・

これが感覚として分からない人も存在する。

この少数派の方々が、
特殊な世界に吸い込まれる。

そして食い物にされる。



 天から声がするような気がする 

徳を積んでも
何も返ってこない・・・

それでも、苦しむ人がいれば助ける。

目の前で、死にそうな人がいれば助ける。

嫌な奴になると疲れる・・
それでも・・
必要とあらば、
嫌な奴になる勇気を持つ・・

 自分の良心の声のみを恐れ、それに従う 

徳は「積む」ものではなく。

 捨て去るモノ 

捨てなければ得られない。

私の申し上げたいことは・・・

「因果の法則」の否定ではありません。



否定ではなく!! 肯定しているのです!!!

「因果の法則」「善因善果」を
肯定しているです。

「駆け引きとしての因果」を否定することで、

 真実の因果の法則  

を肯定しているのです。



コメント
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