
死んで あの世 に還った霊魂が、
また再びこの世に何度も
生まれ変わってくることを
俗的には、輪廻転生 という。
(厳密に言えば、仏教の教義に於ける、
輪廻転生とは少し意味が違う)

はたして、人間は死んだ後、魂はまた再び
別の肉体に宿るのだろうか?

私は、若い頃からずっと考え続けてきた
「 生まれ変わり 」
ほんとうなのか?

実を言うと・・
私は、
他人の過去世が分かる(感じる)
ことがある。
そういう時は、


この姿勢こそが自称・宗教家としての
「責務」であると思っている。
自分の感覚に自己陶酔する者は、
多くの場合、社会に害をもたらす。
科学的に説明ができない、
「何か」を感じたとき、

科学的合理性が認められない場合、
自分の感覚を否定する

これこそが正気を保つための
絶対条件であると思っている。

過去生を知ることはできるのか

生まれ変わり・・とは真実なのか


ある時、
この疑問に対する答えを出した。


これが私の結論です

宇宙の果てはどうなっているのだろうか?
どんなものにもその 終わり がある
宇宙の果てまで行く事が出来たら
そこには何があるのだろうか?
壁 があるとする。
ならば壁の向こうには何がある。
また、宇宙があるのか?
もし、宇宙の果てに壁がなかったら、
地球上を まっすぐひたすら進んで行ったら
また同じ場所に戻ってくるように
宇宙も丸い形をしていて、
一周してまた地球に戻ってくるのだろうか?
ならば、その 丸い宇宙 の外には何がある?
結局、答えは出せない。
これは、


即ち、「 解らない 」
が答えである。

「 解らない 」
とは逃げ で言っている訳ではない。
「 解らない 」 も れっきとした


人間の頭脳や感性で
全ての事に対して答えを出す事が出来るのだろうか?
「 人間は、すべての事に対して必ず答えが出せる 」
と大真面目に信ずるなら、
それは、
「 争いや、戦争が
ない社会がいつか必ずやって来る 」
と、大真面目に信じる者と同列に思える。
このような輩を、
「夢見るドリーマー」
と呼ぶ。
その 希望的な妄想 が極度に達したとき、


若しくは、ドラックに走る。

アメリカで、かつて、ヒッピー と呼ばれる
人達が発生した。
ヒッピー とは、
伝統・制度などの既成の
価値観に縛られた人間生活を否定し
文明以前の野生生活への
回帰を提唱する人々の総称。
ヒッピー と呼ばれる人達の本質は
極めて純粋な人間であったと思う。
だが、哀しい事に
ヒッピー の人達の多くは必然的に




このような道を辿る事になった。

どういう訳か???
この種の集団は、
欲情・色情に支配されやすい傾向にあり、
フリーS▲Ⅹ・・若しくは破廉恥行動
に傾倒することが多い。

皮肉なことに、ヒッピーは、
西洋思想を嫌い、
「東洋思想」 に憧れ、歩み寄った。
「東洋思想」
にも西洋思想とは別の意味で
大きな落とし穴が存在する。

かつて、オーム真理教 に洗脳され
奈落の底に突き落とされた信者達は、
どこか、ヒッピー
に似ているような気がする。

実を言うと、
私の 願望 としては、
輪廻転生(生まれ変わり)
が真実であって欲しい。
でも、それは
「希望から来る 期待」であり、
期待を持って物事を考えれば
それにたいして、
都合の良い事例や要因などしか
目に入ってこないだろう・・・

お釈迦様は、結局最後まで
輪廻転生 や 死後の世界
について何も語らなかった。

学問として仏教を検証する場合、
お釈迦様は、
「死後の世界」や「生まれ変わり」
という概念に対して、

という立場を貫かれた


私も、輪廻転生 (生まれ変わり)
を信じたい願望は心の奥底に確かにある。
でも、それは 「期待と願望 」
の世界に留めておくべきであると思うようになった。
この姿勢こそが、自称・宗教家 として
「私のあるべき姿」であるとおもっている。