名古屋の白ウサギ・1964年生

自称・宗教家・・宗教家とは職業ではなく「私の生き方」です。
職業・会社員、投資家  趣味・偽善事業

分かってしまった!!!この言葉・・違和感を感じる。

2025-01-15 | 思う事


否定 と 肯定 

この二つは常に
背中合わせの状態であることが重要だと
私は思っています。

宗教でも、思想でも、

「すべてを解き明かす
絶対的真理なのだ 」

「分かってしまった!!!」

「悟った!!!」

などと 大真面目に思ったり、主張したりしたら、
その時点で、

  危ない  

こういう純粋な考え方を持った人間ほど、
度が過ぎると厄介な事になる。

 過激になる場合もあるし。

 何でも笑って誤魔化す楽観思考になる場合も多い。

どちらにせよ、
極論は結果的に大きな弊害を生じる。

だからと言って、

なにもせず成り行きに任せ、
無心 で過ごせばそれでよいのでしょうか?



何かを深く考えたり、
 何かを信じたり、 追求したりせず生きている人、
全てを疑ってばかりいる人

評論ばかりして、
自分は何もアクションを起こさない人、

 私はこういう人を 「 温度が低い人 」
もしくは、 「 評論家 」 と呼びます。

何事に対しても 冷ややかに冷笑している人は、

本人はそれが 「知的な事 」
と思っいるようです。

こう言う人は、批判する事、
否定することだけに
優越感を持っている人のように
思えます。 

その根底にはコンプレックスという名の
魔物が潜んでいるような気がします。

こういう人が 大成したり、
何かの成果を出した、
私はそんな実例は一度も見たことがありません。

 信じる   疑う  

 この相反する要素を

制覇してその「 中心 」を模索する。

これは、 あくまで  中心 であり、

 中間ではない

「中間」とは 妥協 を意味する。

 中心  とは

仏教でいう  中道 
 という意味かも知れません
 
これが私に科せられた課題であると思っています。
コメント
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