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最近話題になっている
某・有力タレント事務所‘‘j‘‘ の問題。
新社長となった、元アイドルH君が
メディアを集めた会見で言った。
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命がけ????
私はこの言葉を発する人に
違和感を持つ。
この言葉を発する人に遭遇すると
反射的に警戒する。
H君の場合、
自分の立場を揺るがすような
都合が悪い事に関しては
回答が二転三転している。
命を懸けているなら、
都合の悪い事は蓋をする必要などない。
命を懸けている態度とは思えない。
このような態度は
言葉の重みを失うだけであると思う。
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私の場合、
真剣に取り組んいることがあっても・・
仮に、そのような心境であっても、
「命を懸ける」
この言葉は絶対に吐かない。
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この言葉を頻繁に吐くひとは、
基本的には信用しない。
「話半分」という暗黙のルールを意識して
付き合っていれば問題ないが、
真剣に聞いてしまうと痛い思いをする。
以前、「命がけ・・・」を
連発する人に関わったことがある。
この人は、
立派な思想を持っているお方なので
例外的に大丈夫だと思い、
深く関わってしまった。
その結果として
苦い思いをしたことがある。
本人は「命がけ」と表現しても、、
それはあくまでも自己評価である。
はたから見れば、滑稽なことが多い。
「命を懸ける」は、
自分の心の中の問題として
留めるべであると思う。
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「命をかけて」と・・
思うことは、
自然な感情として個人の
自由であると思う。
しかしながら、
地道に働き、
堅実に生きるひとが、
それを言葉にだしたら、
結果的に信用を失うだけであると思っている。
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政治家のパフォーマンスとしての演説なら、
それはある種の
「世俗的・大衆文化」
であるかも知れない。
この手の「命を懸ける」発言は、
「ガマの油売り」
の口上としての
決め台詞のような「芸」であり、
その辺のニュアンスは聞いているひとにも
暗黙の認識があると思う。
「話半分」として聞き流しているだけである。
「私は、美味しい唐揚げを食べることに、命を懸けている」
この範囲の「軽さ」がある言葉なら、
許される言葉であと思う。
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確かに・・・人それぞれ、大なり小なり、
覚悟を決めて、
懸命にやらなければならない事も存在する。
「命をかけて」
「命がけでやる」
私が、もし仮に本気でそう思うのなら、
それを口に出さない。
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特殊な団体
特殊思想集団
趣味のサークル
観念論に支配された輩
など、狭い社会を形成する輪のなかでは
この言葉が通用することもある。
しかしながら、
自由競争社会
民主主義社会
成熟した文明社会
のなかで
堅実に生きる大多数の普通の人は、
このような言葉を恥じらいもなく発しない。
堅気の一般社会では
軽々しく「重たい言葉」を吐かない人ほど、
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余裕の顔をして、
何も考えず、
気ままに生きているような振りをしている。
普段は涼しい顔をしているが、
人に見えないところで、
人知れず、血の滲むような努力をしている。
そういう人間を何人か知っている。
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こういう人には・・人も、物も、金も集まって来る。
このようなお方は、
結果的に裕福な生活をしている。
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実関と信頼を重んじるひとは、
「必死な心」を人に見せない。
「命を懸ける」などという
自己陶酔型の誇大広告はしない。
遊んでいるような振りをして、
自画自賛したり大袈裟にアピールしない。
自分を誇大広告する必要もなく、
さりげなく、大きな成果を上げる。
そのことが、結果的には安定的な
深い信用を勝ち取る。
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わたしも、
時々調子に乗って
「死に物狂いでやります」
「命がけでやります」
と・・
言いたくなることがありますが、
その「想い」を言葉にせず、
グッと堪えて、
胸の内に納める。
この抑え込まれた「想い」は、
実績を引き寄せるための
エネルギーに変換される。
こういう姿勢を貫いていれば、
人は、私の事を、見ていないようで
「心で感じている」
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信頼関係であると確信しています
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無言で実績を示す者に人は付いてくる。
信用も、金も付いてくる。
勝たねばならぬ・・・