老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

  亡くなっても一隅を照らす人 

2019-02-05 17:44:00 | 俳句

 亡くなった古い友人のブログを読む。

あっちへ逝ってしまわれてもう九年が経つ。

まさかこんなに早く亡くなるとは思ってもいなかったものだから、長いご無沙汰を決め込んでいた。

休んでいた俳句を再びやろうかと思い、連絡をとるが、電話もかからぬ、文も戻ってくる。

彼の所属をしていた結社をインターネットで調べるうちに、彼のブログを見付けることができた。

私の句をブログに取り上げてくださっていたことも驚きと、それが手がかりにもなった。

俳句を再開するにあたって彼に無沙汰のお詫びと又俳句の教えを乞うことが目的であったのに、ショックだった。

 

その彼のブログを時々覗く。

亡くなって長い時間が経っているのに彼のブログは毎日、訪問者が後を絶たない。

一種のバイブルのような存在になっているらしい。宗教家の域に達している。

今は、彼のブログは更新こそされないが、多くの読者がいるらしい。

 

私はちょっと心が折れた時とか人生に押し流されそうになった時に、彼のブログのページにお邪魔をする。

勿論、心が晴れてゆく。これでは私の考えは駄目だと彼の生き方から、勇気をもらい諭される。

亡くなって、こんな存在感のある人がいるだろか。決して有名でも無い(知らないのは私だけかも知れぬ)のに毎日、毎日、彼のブログで救われている人が多くいるらしいのだ。私と同様に。

身近にいる人だと、私が感じすぎていたのだろうか。

有名、著名な俳人の事はどうかは知らぬが、亡くなって今も彼の右に出て後輩を導いているのは彼をして他にいないと信じている。

 

    >    いつもご覧いただき、ありがとうございます。
   やはり癌には勝てず、二、三日中に入院し、病院で最期を迎える所存です。
   これまでのご厚誼を深く深く感謝申し上げます。

 

     >  明日、1月4日入院する予定です。


      一隅を灯しつづけよ竜の玉      季 己

 

 最後の二日間のブログはこんな綴りで、旅だってゆかれた。

 

 淋しい時、疲れた時、かれのブログを開く昨今だ。

 

 

 

 

 

コメント (6)
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