大阪水曜ほっと集談会一世です。
頻繁にスーパーで買い物をする私です。
小さなお子さんを連れた若いお母さんが、早くしなさいと叱っている光景を時々見かけます。
しつけとは思いながらも頼むからあまり怒らないでくれと心の中で思います。
しかしその声は、小さくて聞こえない。
おそらく、お母さんが仕事しながらの子育てには様々なストレスが伴うでしょう。
とくにかつての私のように育児に不器用なパートナーを持つと尚更かと思います。
昭和の時代には、祖父母が子供の心理的クッションになったり隣近所との交流もありました。
今は、家族でもないのに子供に関わるなど、とんでもない時代です。
しかし家庭で早く早くを求められ、やがて学校で競争を強いられた子供たちの心は、一体どこに向かうのでしょうか!
さて単身赴任を口実に、子育てから逃げて仕事ばかりしてきた私です。
以前にも書きましたが、私の人生の最大の後悔は子育てにきちんと向き合わなかったことです。
なので何も言う資格はございませんが、あえて言わせてください。
少し待ってください。
すべてものごとには、然るべき時があると。
一般社会で幾度となく頭を打ち付けながら、森田を学んできた私にはそのことがハッキリとわかります。
その事を子供が受け入れられる時期が必ず来るのです。
早く早くの効率主義は、家庭から学校へそして企業へと加速度的に刷り込まれて行きます。
時には集談会でも、そのようなメッセージを受け取る事もあります。
その行きつく先は、どこなのでしょうか?
再び本日、帚木蓬生先生の言葉を子育て中の男女の会員の皆様にお伝えしたいと思います。
”素養や教養あるいはたしなみは、問題に対して早急に答えを出すことではありません。
むしろ反対かもしれません。
解決できない問題があってもじっくり耐えて熟慮するのが教養でしょう。
そうなると、今日の学校での教育がどこか教育の本質から逸脱しているのがわかるでしょう。”
「ネガティブ・ケイパビリティ~答えの出ない事態に耐える力~より」
2021・7・9 一世