大阪水曜ほっと集談会一世です。
いつも、副代表幹事のてっちゃんに歴史の背景を学んでいる私です。
最近もパンデミックの歴史について教えてもらいました。
最近の私のお気に入りは、パラダイムシフトです。
「パラダイムシフト」とは、その時代に当然と考えられていた物の見方や考え方が劇的に変化することを指すそうです。
さて、森田先生が現在のコロナ禍に生きておられたら、どのように対処し何を発信されたでしょうか。
森田先生の年譜から推察しますと本格的に神経質療法の研究が、論文として形に表れるのは1920年頃と思われます。
その今からちょうど100年前の1920年代とはいかなる時代であったのでしょうか。
政治的には大正デモクラシーと呼ばれる女性の地位向上の動きがありました。
文化的には、竹久夢二に代表される浪漫主義が興ります。
そして第一次世界大戦へと世界は動いていきます。
この頃特筆すべきは、「人類最悪のパンデミック」と称される「スペイン風邪」の世界的な蔓延です。
1920年に開催された第7回オリンピックのアントワープ大会は、今日と同じような状況にあったようです。
抗生物質であるペニシリンの発見が1929年であることから、結核の恐怖もありました。
このような過酷な時代背景に加え、喘息の持病が容赦なく森田先生を襲います。
更に次から次へと肉親の死(逆縁)にも向き合いながらも、森田療法を生み出した森田先生の執念と気迫を感じます。
それまで神経質症は神経衰弱と呼ばれ、神経が消耗した状態と定義づけられていたようです。
とらわれのメカニズムを解明することで病気ではないというパラダイムシフトが起こりました。
時代の恩恵をいただく事にただ、ただ感謝しかありません。
2021・7・2 一世