
昨日は父の日だったようである。
娘が園児の頃、父の日の似顔絵がカバンをもって会社に行く私の姿であったことを想い出しなぜか悲しい気持ちになった私です。
多忙に抹殺されて父の日があることを、完全に忘れていました。
それにしても母の日と比べて父の日の認知度は悲しいくらい低い。
今年も何の関係もなく過ぎ去るはずの父の日であったが、夕方県外に住む次女からプレゼントが届いた。
これだけであれば、ただの親バカな親父の話である。
しかしながら私には衝撃的な出来事であった。
1年以上音信不通で親子の繋がりが切れるかもしれないと思ったことは1回や2回ではない。
次女が思春期の頃、私は単身赴任先で悪戦苦闘の果てに適応障害に追い込まれた。
自分のことばかりで過呼吸や不安感など娘の心の問題に気づくこともないバカ親父であった
気がついた時は時すでに遅しであった。
男親にとって娘の取説は本当に難しい。
森田を家族に伝えることは本当にハードルが高い。
当時どうにもこうにも出口が見えず、自助グループのある大先輩に相談をさせていただいた。
「娘さんの生きる力を信じて見守ってあげてください」と言われたその時の言葉がどれほど尊いものであったかを、私は昨日の父の日に思い知らされたのである。
親子関係、夫婦の問題、職場の人間関係など世の中にはすぐに解決できないことが多い。
私たちはネガティブケイパビリティを内包しているのです。
思い通りにならない人生をどう生きていくか森田はその答えを何通りも私に示してくれた。
たとえ親子であっても娘の課題に介入することはできない。
次女は今回人生の一つの課題をクリアしたのだろう。
また数年先に新しい課題が彼女を苦しめるかもしれない。
親父はこれから先もどれほど苦しく辛い思いがあってもじっと見守り、応援しているというメッセージを届けるしかできないのである。
私に素晴らしいアドバイスをくださった神経質者の大先輩が後に、神経質に関する気付きの宝石箱のような「そのままのあなたですべてよし」 ―私の森田人間学―という本を上梓された。
その大先輩は、私が10代で初めて参加した集談会で個人相談をしてくださった方でもある。
心からの尊敬と感謝の気持ちがこの拙いブログを書かせたと思う。
神経質者の大先輩、ありがとうございました。

2023.6.19 一世
※ネガティブケイパビリティ「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」