
大阪水曜ほっと集談会一世です。
先日ブログをお休みしたので、今日もう一回投稿します。
失敗しても、サボっても良いのです。
どこかで調整すれば、よいのです。
森田博士の言葉の中で、好きな言葉はたくさんあります。
その一つは犠牲心の発動という言葉です。
これは、誤解されることが多いのですが、森田博士は例えば努力即幸福にしてもそうですが、努力しなさいとか、人に奉仕をしなさいとかそういうことを、いわれているわけではないのです。
一言で言いますと神経質症状からの回復の過程に起こる心のありようを表現されているわけです。
治るプロセスの中で、犠牲心が生まれたり純なる心が芽生えたり、幸福感に包まれたり、そういうことがあるよと説かれているのではないかと思うのです。
それを何か教条主義的に広めてしまう、一部の人たちに警鐘を鳴らしたいと思います。
さて今日はそのようなテーマではなく、自分の居場所は自分で創るということをお話したいと思います。
私は子供の頃から、両親に貧乏人のボンボン育ちとよく言われました。
つまり人への配慮や感謝が足らないということです。
これは私だけではないと思うのですが小さい頃から成績が良かったりして、周りがいろいろお膳立てをしてくれて当然、居場所が努力せずに得られるという錯覚が少しありましたね。
逆に自助グループでは、親御さんが立派すぎて抑圧されたり、萎縮された方もありますが、、、
自分の居場所が努力しなくても手に入ってしまう、または努力しても常に否定されてきた、両極端ですよね。
家族だけが対象のうちはいいのですが、学校や社会人になるとそういうわけにはいきません。
いわゆる、空気が読めない人になってしまうのです
世間での暗黙のルールがわからないと対人関係がうまくいかなくなったり、自分で自分を追い込んでしまったり、常に人との関係が不安になり挙句の果てには広場恐怖症になったりする人もいます。
これも元を正せば人間関係の小さなルールを理解してないことからくることが多いと思うのです。
森田博士はそのような私たち神経質者に対して神経質を活かした人間関係の見えないルールを丁寧に教えてくださっていると思うのです。
私は過去に不器用ながらでも趣味のサークルや、奉仕団体など、その集まりに長く参加してみることで認知されその会での大切な役割が与えられた経験があります。
しかしながら、未だに配偶者への微妙な空気が読めずトホホな一世です。

※今日の森田博士の言葉
神経質が、種々の症状に悩むのは、その限りなき欲望に対する過渡期であり、終には悟りに達すべき迷妄の時期である 。
2024/04/23 一世