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大阪水曜ほっと集談会一世です。
予想外の休職という事態に遭遇し、時間というとても大切なギフトを頂いている私です 。
今まで読みたいと思っていた本を何冊か読み返しています。
その1つが アドラー に関する著書です。
その中に即時的に生きるという言葉がありました。
アドラーの言う即時的に生きるとは過去でも未来でもなく、今この瞬間を生きるという意味だそうです。
自分や他者をこうあるべきであるという理想で捉えるのではなく現実や事実を基本として捉えようとする考え方です。
そのことによって一体何が見えてくるのでしょうか?
一つは自分が恐れていた対象や不安が、非現実的であったという気づきかもしれません。
神経症とは、シンプルにいえば、現実や環境に即しておらず、著しく調和を欠いた状態といえるでしょう!
話は変わりますが、日本語には敬語が存在します。
これもまた、人間関係を円滑に保つための、大切な知恵なのです。
職場で若者と接する中で、若い世代が人間関係に支障をきたしている、苦しむ一因として、敬語を使えないということがあると思います。
余計な摩擦や軋轢を生みやすいのです。
では森田療法ではどうでしょうか?
森田もまた、かくあるべし に基づく発想ではなく事実 唯真という捉え方を説いています。
更にそこから、自然に服従し、環境に従順であれという発想につながるのです。
できるだけその時の気分や感情ではなく、事実に基づいて物事を冷静に判断していこうとする、心の動きです。
心のバランス感覚を養う側面もあると考えます。
自分の言動が、不調和に陥っていないかどうかの判断基準の一つが、相手が笑うか笑わないかという行為に
表れると思う一世です。
自助グループ内における会合で笑いがないとすれば、リーダーの資質や会合そのものの意義を疑うと朝から一言毒を吐いておきます。
笑いは、落語の桂枝雀師匠の言われた緊張と緩和に見られるように、その場の雰囲気に、適合していなければ、決して生まれないものだと思うのです。
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2024/04/11 一世