大阪水曜ほっと集談会一世です。
不自由であるが不幸ではない。
失念したが、生まれながらに障碍をもたれたある方の、とても心に残った言葉である。
老いと共に、そのことを改めて思い出させてくれる、出来事が起こった。
恥ずかしながらまたしても転倒してしまったのである。
昨日は、朝から病院にて次から次へと検査の連続であった。
今回は左肩の鎖骨の粉砕骨折とやらで全治三ヶ月との診断であった。
今回は、そうきたか?
還暦前後に大きな転倒が一回小さな転倒二回、今回で何と四回目であった。
激痛と闘いながら、使える右手でスマホを操り、仕事の段取り三昧でバタバタと過ぎていった。
一日思いっきり凹んだが、翌日には気持ちをスパット切り替えることができた。
森田の学びは、確実に活かされている。
起こってしまった理由を探るよりも、これからどうすれば良いかということに、心を少し使うようにした。
片手での生活はまことに不自由であるが、不幸であるとは、思わない。
不自由な生活に身を置くことで何かしら生きるための工夫が生まれるような気がしている。
しかしながら現実は厳しい。
なんでもひとりで出来るはずの私が、着替えさえできなくなった。
病院の医師に奥さんと一緒に来てくださいと言われた。
しぶしぶ配偶者に今回の件を伝えると、案の定、爆笑をされた。
だから言うのが嫌だった。
神経質でない人間の反応は極めて、あっけらかんとしている。
身も蓋もないのである。
以前はそれが嫌で嫌で仕方がなかった。
最近この配偶者の何事にも動じないあっけらかんに、少し救われている気がするのはなぜだろうか。
★今日の心に響く言葉
不自由なものを受け入れその枠の中に自分を入れる。
年をとるというのは、そういうことです。
弓矢で、心を射貫かれたような気がした一世です。
2024.4.3 一世
★樹木希林120の遺言・宝島者より一部抜粋