大阪水曜ほっと集談会一世です。
無駄なことをしないと、合理的になれない。
これは、元メジャーリーガーのイチロー選手の言葉です。
ところで私が現在の自助グループに、初めて参加した頃、こういう話をよく聞きました。
神経質者はとても理知的であるが、雑多な体験が不足していると。
そのことを鮮明に覚えています。
雑多な体験とは何か、今から思えばよい意味での無駄だと思うのです。
以前にも投稿しましたが神経質症状とはある意味で合理性の追求という認識を私は持っています。
振り返って思うのはなんでこんなことをしなければいけないのか、こんなことに何か意味があるのか、そう思って取り組んだことが実は大きな意味を持っていたことに気がつくのです。
森田博士が、何かと理屈に偏りやすい神経質者に対して、日々の生活の雑事を大切にするよう指導されたことは当然なのです。
無駄と思える体験のもうひとつの意味は発想の転換です。
何か自分が非効率なことをやってるなと思った時ほど大切にしてほしいのです。
そこに自分が本当に興味を感じること、やりたいことが隠れている可能性があるのです。
本当の自分と向き合う時間を大切にしてもらいたいと思います。
無駄なことを嫌う、安直に生産的なことや効率的なことのみを求める、このような傾向に対して、森田博士は.とても手厳しいです。
※今日の森田博士の言葉
普通の人は、自分の人生の目的のために、なるたけ細かく苦労することを当然のことと承知のうえでやります。
なのに神経質は自己中心的に、知恵の廻りが良すぎるために、自分勝手な都合のいいことを考えだすのであります。
すなわち自分の人生を完全にしようとする大望を持ちながら、しかもそれを安楽に取り越し苦労なしにうまくやろうというずるい考えを起こします。
たとえば苦労せずに金持ちになろうとするのと同様です。
強迫観念にかかっているものは、自己一点張りのためにけっしてこのことに自分で気がつかないのです。
2024/04/20 一世