大阪水曜ほっと集談会一世です。
急激な温度上昇で5月というのにまるで初夏のような気候である。
体調を崩しやすいので、ご自愛ください。
さて、時折集談会で語られる病の苦しみや肉親の死、日々の生きづらさとの闘い、老いの苦しみを聴かせていただくときにただ、ただその場に立ち尽くすしかないことが多い。
生老病死の問題は容易に解決できない。
そんなときにどのように対応すればよいのか?
感情の法則をすぐに持ち出すあなたは森田的感性が乏しい。
そうではないだろう!
苦しかったね。
私にもそのような体験があります。
まずその深い共感があってこそ森田の説く感情の法則が生きるのではないのか?
「ネガティブ・ケイパビリティ 」答えの出ない事態に耐える力について再び学ばせていただいている私です。
私が子供の頃は、当然ながらビデオもコンビニもパソコンもスマホもない時代で、ネガティブケイパビリティは、日常にあふれていた。
日本人は、早急に答えを出す生活に慣れすぎた気がしている。
私は、効率や費用対効果の行き着くところは鬱であると真剣に思っている。
臨床40年の精神科医箒木蓬生氏が、わかりやすく説かれるネガティブ・ケイパビリティは混迷の時代に生きる私たちに大きなヒントを与えてくれる。
教育、医療、介護にも応用出来る、共感の成熟に寄り添う「負の力」に着目されたことはすばらしい。。
魅力的かつ今の時代にこそ必要な言葉である。
最後に森田博士は、静かにこう語りかけておられる。
われわれは、何かにつけて常にはからっている。
これが我々の心の事実であり、精神の自然現象である。
2022,5.25 一世