「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

2月19日(水)14時~・2月18日(火)20時~(ZOOM)にてリモート集談会を開催します

現実逃避のススメ!

2022年05月18日 08時32分12秒 | 集談会の様子

 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

さて昨日は、大阪水曜ほっと夜間懇親会でした。

今月も北は北海道から南は九州まで13名の参加がございました。

個人情報の観点から内容の詳細は控えさせていただきますが、落ち込んでいる方、上手に気分転換をされている方など様々でした。

皆さんが、思想の矛盾に苦しみながらも生活を維持されている姿に元気をいただき心がほっこりしました。

本当に集談会は学びと共感の宝庫です、皆様ありがとうございました。

その中でいつも寄り添い感がいっぱいの〇〇さんの現実逃避についてのお話がとても学びになりました。

ご本人にこのテーマでの投稿に許可をいただきましたので今日はこのテーマについて書きます。

現実逃避は、一般的に良くないとされています。

私たち神経質タイプは、それをまっすぐに受けとめて自分を苦しめているような気がします。

振りかえると、人生の大半を逃避してきた私です。

学校から、仕事から、子育てから、嫁から?

苦しい時は、ハイボール3杯の情けない超親父です。

ところで現実逃避は必要ではないでしょうか。

苦しみで心が満たされたとき、どうしようもない時に現実から目をそらすのは自分の心と体を守るために大切です。

そうしなければ心と体のバランスが壊れるのです。

森田先生はこのように言われています。

私どもは、ムリに善人になろうとしなくともよいのです。

ただ、事実のあるがままを認め、自然に服従し、境遇に従順であればいいのであって、努力をするのも、ズボラをするのも、それ相当の応報を受ける覚悟でおりさすればよいのです。



2022.5.18 一世


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あるお笑い芸人の社会的死と幸福の糧

2022年05月17日 10時33分06秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会てっちゃんです。

長引くコロナ禍の中、数日前に、マスコミで、あるお笑い芸人の逝去が報じられました。

漫才トリオで一世を風靡するほど、有名な存在でした。

 しかしながら、そのあまりにも自虐的なネタ(例えば、お笑いの為、熱湯湯に浸かるとか・・・)や一種暴力的なリアクションで、知られる大衆演劇的存在でした。

私はこのようなスタイルは好きではないので、あまり見る機会はなかったのですが、こういった傾向はお客様受けするために、よりエスカレートしていくようです。

しかしながら、コロナ禍が2年以上も経過する中、得意のギャグやネタは禁止となって、自らの得意な才能も封じられるようになり、かなり落ち込んでいる様子だったと報じられています。

 考えてみれば、お客様のお笑いへの要望、欲求は益々ヒートアップしていき、それに答えるため自尊心なども脱ぎ捨てて、その芸道へ突き進むことは悲しいぐらい悲惨なことである・・・と日々感じていました。

このような、社会的死(心より、ご冥福をお祈りします)を目の当たりにしても世間は、性懲りもなく次のターゲットを求め、マスメデイアもなんら反省もなく、映像等の垂れ流しは進み、品性や品格はより貧しくなっていくようです。

 最近読んだ、岸見一郎氏著 「今、ここ」にある幸福の中に、人は幸福に「なる」のではなく、幸福で「ある」ということ。

苦しさから抜け出して幸福に「なる」のではなく、今の状況や経験とは関係なく幸福で「ある」のです。

たしかに、生きることは苦しいのです。

しかし、その苦しみを苦しいと見るのではなく、苦しみこそ幸福の糧であると見ることはできる。

あなたは、あるがままの自分で「あること」ですでに価値があり、他者に貢献している。

「今、ここ」にある幸福より抜粋



2022.5.17 てっちゃん

※岸見一郎氏:日本の哲学者・心理学者 アドラー心理学の研究をもとに2013年刊行された、「嫌われる勇気」が大ベストセラーになる。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

負けて信を取れ!

2022年05月15日 05時48分07秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

只今午前5時、珈琲を飲みながらこのブログを書いています。

このルーティンのお陰で1日のスタートがとても充実し、多忙な中、貴重な学びの時間でもあります。

大阪水曜ほっと集談会のメンバーの皆様のお陰で自由に投稿させていただいている私です。

最近、森田先生の自然に服従するや弱くなりきるなどが無理なく心に響いています。

たたかわない生き方、抗わない生き方が今の私の最大のテーマです。

他人の評価など、自分の意志でコントロールできないことにエネルギーを使わない。

パワーゲームで心身を消耗しない。

善悪を論じない。

自らの幼弱性を否定しないで、私の個性として育むことで好奇心や興味が湧くようになりました。

それはイコール他者の人生を尊重することにつながっている気がします。

自分の子どもに対しても、違う人格であるとハッキリ思えるようになりました。

そのような日々の中で雑誌をぱらぱらとめくっているとこの言葉に出会いました。

負けて信を取れ!

以下は私なりの解釈です、間違っているかもしれませんので、賢明な読み手である皆様に解釈や判断はお任せします。

勝ち負けを超えて、柔軟な心で受け止めて、自分にとって本当に大切なことに心と体を傾ける。

これはけっしてあきらめるマインドではありません。

許せない項目を減らしていく。

家族、職場、学校などあらゆる場面で活用できる気がしています。

理屈や一時の感情で、相手を言い負かしても信頼関係や共感が得られる事はないのです。



2022.5.15 一世

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海の見えるキャンパスを歩きながら考えたこと。

2022年05月14日 07時58分29秒 | コラム 

 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

長引くコロナ不況で大打撃を被った業界で働く私です。

気分転換に先日30年ぶりに母校のキャンパスを訪れました。

卒業してから、1回だけ友人と行きました。

山と海に囲まれた神戸のロケーションの美しさを見ながら当時の孤独な自分と重ねていました。

こんなに美しかったのか?

当時好きだったサザンの楽曲が、聴こえてくるような気がしました。

当時は景色もわからないほど自分に注意が向いていました。

自分はここから、トボトボと歩き始めたのかと思いますと森田療法に出会えた幸運に感謝の言葉しかありません。

私には森田療法との出会いのない人生は考えることができません。

キャンパスを歩く若い後輩を見ながら、当時の自分と同じ悩みを抱える学生が森田療法で救われてほしいと思いました。

大学のキャンパスに併設されたレストランで食べたランチが最高に美味しかったです。

近い将来もう一度ここで学びたい。

耳にたこどころかキノコが生えるくらい何度も投稿しましたが、10代で読書恐怖・雑念恐怖に苦しんだ私です。

成績の悪い自分を当時は馬鹿だと思っていました。

それは事実ですが、森田療法が少し理解できたので完全な馬鹿ではないようです。

馬鹿の中くらいでしょうか?

馬鹿を自覚している馬鹿?

当時は親がかりの、ひたすら自分の為の学びでした。

今度は自分のお金で、若い人たちに寄り添うスキルを身に付ける為に。



2022.5.14 学生になりたい 一世


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森田療法のめざす処?

2022年05月13日 04時26分07秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

ここのところ、本当に仕事もプライベートも忙しくアットいう間に1日が過ぎていきます。

既に定年へのカウントダウンが始まっており、不安でありながらも、わくわく感が止まらない私です。

さて先日のブログで、森田療法のめざす処が人間的な成長ということにすこし違和感を感じると投稿しました。

では森田療法がめざす処は何か、一緒に考えてみたいと思います。

一言で申しますとわたしは自覚調和であると現時点では思っています。

調和とは、社会、自然との調和に留まらず自分との調和も含まれます。

さて私の印象では森田博士は、物事に意味付けすることをとても嫌っておられたように感じます。

それはかくあるべしに通じるからでしょうか?

従いまして森田療法はこれをめざしていると一律に定義することも不要なのかもしれません。

自分にとって都合のよいと思われる事実、不都合な事実、自然界の営み、社会の営みに対して一旦心のフィルターを外して物事を俯瞰して観る。

この自分をみつめる作業の繰り返しが、自覚に繋がるのかもしれません。

残念ながら自分で自分に気づくことは難しいのです。

高校生でも理解できる森田理論ですが、80歳の方でも実行できないと言われます。

自分に対しては、厳しいか甘いかの両極端の私たちです。

集談会で仲間の皆さんのお話を聴くことは気づきを深めます。

特に初めて集談会に参加された方のお話は、学びの宝庫です。

なぜ私たちは歯を磨く事は習慣化しているのに、自分の心の事実を見つめる事はおざなりにするのでしょうか?

一時期季節感も無くなり、魂の抜け殻のような状態で会社に行っていた私です。

今はただ、ただ、五月の新録の美しさに心を射られている日々です。

そのことをこのうえもなく幸せに感じています。



2022.5.13 一世


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする