大阪水曜ほっと集談会一世です。
先日の新快速電車の車内での光景です。
言葉の不自由な若いお母さんと4歳くらいの目のクリクリした可愛い女の子が座っていました。
手話で一生懸命に会話をされています。
同じ車両の隣同志で、チラチラとお子さんが、こちらを見ます。
私も思わずニッコリしました。
ふとこのような想念がわいてきました。
家族だから、同じ職場だから、集談会の仲間であるから言わなくてもわかると安易に考えていたのではないか?
言わなければ、わからない。
言っても理解しあえないこともある。
これが事実である。
それでも表現しようとすることは大切だ。
更にこうも思った。
対人恐怖症があるからどうなんだ!
パニックがあるからどうだというのだ!
抑鬱があってもよいではないか!
人は皆何かしら背負いながら、懸命に生きている。
神経質症者だけが特別でも何でもない。
イチイチ理論で学ばなくとも、人は自然に服従し境遇に従順に生きているのだ。
抗わなければ、やがて収まるところに収まるのだ。
それでよいのだ。
2022.6.24 一世