「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

11月19日(火)20時~・11月20日14時~(ZOOM)にてリモート集談会を開催します

ある日の光景とそこから学んだこと。

2022年06月24日 13時58分25秒 | コラム 
 
 
 
大阪水曜ほっと集談会一世です。
 
先日の新快速電車の車内での光景です。
 
言葉の不自由な若いお母さんと4歳くらいの目のクリクリした可愛い女の子が座っていました。
 
手話で一生懸命に会話をされています。
 
同じ車両の隣同志で、チラチラとお子さんが、こちらを見ます。
 
私も思わずニッコリしました。
 
ふとこのような想念がわいてきました。
 
家族だから、同じ職場だから、集談会の仲間であるから言わなくてもわかると安易に考えていたのではないか?
 
言わなければ、わからない。
 
言っても理解しあえないこともある。
 
これが事実である。
 
それでも表現しようとすることは大切だ。
 
更にこうも思った。
 
対人恐怖症があるからどうなんだ!
 
パニックがあるからどうだというのだ!
 
抑鬱があってもよいではないか!
 
人は皆何かしら背負いながら、懸命に生きている。
 
神経質症者だけが特別でも何でもない。
 
イチイチ理論で学ばなくとも、人は自然に服従し境遇に従順に生きているのだ。
 
抗わなければ、やがて収まるところに収まるのだ。
 
それでよいのだ。
 


2022.6.24 一世
 
 

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リカレント教育と森田の学び直し

2022年06月22日 09時38分54秒 | コラム 

 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

リカレント教育について最近関心のある私です。
 
「リカレント(recurrent)」とは、「繰り返す」「循環する」という意味だそうです。

社会人になってから自分の仕事に関する専門的な知識やスキルを学ぶため、「社会人の学び直し」とも呼ばれます。

 「生涯学習」とは学ぶ目的が異なります。

リカレント教育は、仕事に生かすための知識やスキルを学びます。

 最近生活の発見会においてもこの森田版リカレント教育が必要ではないかと提言したいと思います。

1980年代~1990年代かけて発見会は現在の約3倍の会員数でした。

当時のうねるような時代の醸し出す活気を思い出します。

以下は私の個人的見解です。

当時中心的存在として発見会活動に携わっていた現在の60代~80代の方は実践・総括を基本としたビジネス森田の影響を強く受けていたように思います。

努力すれば給与やポストに反映され、仕事終わりの赤ちょうちんが職場の潤滑油として機能していた時代。

あれから40年時代は、変わりました。

現場で働く身としては、努力イコール成果とは程遠い。

給与は欧米に比べ、何十年も上昇率はほとんど変わらないのに物価はどんどん上昇します。

ポストはないのに、責任は負わされる。

コロナ過で低迷していた経済の復調も見られますが、人手不足は深刻です。

人間関係も当然のようにギスギスして、飲み会も無くなり悩みを受けとめるクッション的環境は皆無です。

悩みの本質も変化していると思います。

本人の認識の誤りと単純に説明できない、機能不全家族やブラック企業が背景にあることも多い。

本来自助グループであるならば指導者は要らないはずですが、事実として指導する、されるの関係性はあります。

特に立場上集談会運営に携わる支部委員や代表幹事における森田療法や自助グループに関しての現代に即した学び直しが必要ではないかと思うのです。

新たな次世代の集談会のリーダを育成するためには60代~80代の私たちが後方支援に回り20代~50代のサポートに徹することが求められていると思います。



2022.6.22 一世

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むちうちとARUGAMAMA

2022年06月21日 10時57分01秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

ブログをしばらく休ませていただいた。

落ち込みが原因ではない。
 
またもや作業中転倒、軽い脳震盪とムチ打ち、捻挫が原因である。

勤続疲労の体は正直である。

森田を40年学んでも痛いものは痛いのだ。

さて神経質者の生き方は、表面上弱者の生き方であると思う。
 
しかし、これがもっとも強い生き方である。

柳や薄(ススキ)のように揺れながら、強風に抗わず嵐にも耐えうる力を持つ。
 
ところで定年前に6回目の転勤が決まった。

コロナ過で離職がすすみ深刻な人手不足地獄である。
 
仕事のオファーはありがたいが、環境の変化に弱い神経質者である。
 
新しい人間関係を築くのは容易ではない。
 
定年後もしばらくフルタイムの勤務が続く。
 
職責からも経済的な不安からも解放される日々は、遙か彼方である。

もはやぼろ雑巾の身にとって、嫌がらせ以外の何ものでもない。(笑)
 
夢見る定年後生活とは程遠いが、この漬物石のような負荷や枷(かせ)が重要であると考えている。
 
特に初心者懇談会における寄り添いには不可欠である。
 
経済的・社会的プレッシャーのない環境に居てコメンテータのような発言はしたくない。
 
私は10代で森田療法に出会せていただいた。
 
その幸運をあらためて感じている。
 
多くの出逢いと残念ながら多くの別れもあった。
 
すべては偶然ではなかったと思う。
 
本日も大阪水曜ほっと夜間懇談会を開催する。
 
オンライン開催であるための日本全国から参加いただく予定である。
 
感謝以外の言葉が見つからない。
 
不思議なことが最近度々おこる。
 
本日もサプライズゲストが参加される。
 
最近ふと森田療法を学んできて感じたことがある。
 
私は私でしかない。
 
私はそのままの私ですばらしい。
 
そのまんま一世でこれからも生きていく。
 
良いも悪いもないのだ。
 
あるがままとは目指すべきでも、獲得すべき世界観でもなかった。

実は既に私の手の中にあったのだ。
 
それに気づいていなかっただけかもしれない。
 


2022.6.21 一世
 
 

 
 
 
 
 
 

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他人のルールに支配されない!

2022年06月17日 05時48分27秒 | コラム 
 
大阪水曜ほっと集談会一世です。
 
何度も投稿していますが、私が尤も注目する神経質の性格特徴は自己内省性です。
 
これは、宝物のような気質です。
 
しかしながら、これが過剰に働くと他人の感情を先取りし自分に負荷をかける不公平な関係性に発展することがあります。
 
ずばり他者のルールに支配されるということです。
 
家庭においては家族、学校においては友人や教員、そして社会では上司や企業論理が、あの手この手で容赦なく侵入します。
 
特に自己肯定感が低いと、常に自分が引き受けなくても良いことまで引き受けて苦しむことになります。
 
随分そのような経験をしてきました。
 
センターラインを越えて侵入する車は危険であると感知できますが、心の侵入はわかりにくい。
 
何となくその人といるとイライラする、気持ちが落ち着かない。
 
そのような経験はありませんか?
 
私はそんな時は出来るだけ近づかない、離れる、依頼を断るようにしています。
 
一般社会でも発見会に於いてもそれは同じです。
 
神経質タイプでも様々です。
 
過剰な教え魔にはNOを突きつける。
 
森田理論の押し付けは許さない。

教えることには快楽が伴うというのが私の認識です。

アルコールに依存するようにはまりやすい。

1億2千万、総コメンテータの日本です。
 
常にどこか一点疑いながらコントロールできない事にはエネルギーを使わない、これが私の組織との関わり方です。
 
 
その頼まれごとは、本当にあなたがしないといけないことですか?
 


2022.6.17 一世
 

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小賢しいのは嫌いです。

2022年06月16日 08時19分37秒 | コラム 
大阪水曜ほっと集談会一世です。
 
今日はボヤキまくりの私です。
 
最近SNSの影響か現場感覚が乏しいのに、中途半端に賢い人間がどんどん増えている気がします。
 
森田博士の言われた悪智が溢れている。
 
以前は、物事をハッキリ言う人を羨ましく思いましたが、今はうざい。
 
小賢しい、小利口いづれも小が付きます。
 
小賢しいのは嫌いです。
 
20代で幹事、世話人をしていた私です。
 
求められれば中途半端な森田もどきのコメントを入会されたばかりの親父世代のおじさんにしていました。
 
あの頃の小賢しい自分に言いたい!
 
大馬鹿野郎!
 
ところでかつて私が所属していた音楽を楽しむ社会人サークルでこのようなことがありました。
 
ストレス解消も兼ね癒しを求めて参加されていた方と純粋に音楽を追求したい方との二極化です。
 
当然対立も起こります。
 
そうなると専門的なスキルの高い方や発言力の強い方に押し切られる。
 
当時代表をしていた私は、なかなかグループをまとめることができなくてきつかったです。
 
さて集談会ではいかがでしょうか?
 
森田理論を専門的に極めたい人達とどちらかというと癒しや仲間を求めて参加される方があると思います。
 
私は8:2で癒し派です。
 
私は森田療法を学んでいるつもりですが、理論を学んでいる意識はありません。
 
これからも、ないでしょう。
 
 
理論を系統的に学ぶ事は大切ですが、これを乱用すると理論を盾に他者をコントロールしようとする動きにつながる危険性も感じます。
 
(個人的見解)
 
私たちの集談会では実践目標などは立てません。
 
しかし前回の集談会で落ち込んでおられた仲間の会員が、旅行に行きましたとか、ランチで美味しいものを食べに行きましたとか、思い切ってライブに行って来ましたと言われるとうれしくなるのです。
 
次回までに何か楽しいこと、居心地が良いことをみつけましょう!
 
これくらいの実践目標であればありかもしれませんね。
 
森田博士は悪智と言う言葉で神経質者の陥りやすい、観念的な理想主義や机上の論理を戒めておられます。
 
ずばり自分の考え方で、事実の真相を曲げようとする。
 
これが悪智です。
 
「逃れられぬから、すなわち恐ろしい」と言う事実を恐ろしくないように考えようとするのが、悪智である。
 
皆様心当たりはございませんか?
 
ああ、今日も職場で小賢しい上司に嫌味を言われる。トホホ


2022.6.16 一世
 

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