「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

12月17日(火)20時~・12月18日14時~(ZOOM)にてリモート集談会&忘年会を開催します

課題の分離と心の詐欺!

2023年04月12日 06時00分51秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

世の中には残念ですが神経質者の生真面目さや責任感の強さに巧みに浸け込む人々が存在します。

私は、これを心のオレオレ詐欺と呼んでいます。

理解者のふりをして利用しようとする人々のことです。

さて、とらわれるとはどういう状態か?

森田博士の見解はシンプルかつ明瞭です。

以下「自覚と悟りへの道」より、

※「行き詰まったような感じがする」というけれども、それは感じだけで本当に生き詰まらないからいけない。

不可能と可能の区別を知ろうとせずに、「こうありたい」ということと「しかし、できない」という二つの循環論理になるから、果てしがなく、いつまで経っても行き詰ることができないのであります。

こんなとき、一番たやすいことは、とらわれになりきればよいのです。

ではなぜ私たちは特に対人関係において、不可能と可能の区別ができないのか?

アドラーの説く「課題の分離」ができていないことに一つのヒントを感じます。

他人の課題を自分の課題として背負ってしまう。

そのことで家族や職場が円滑にまわることで、本来の自分の感覚が麻痺してしまう誤りです。

アドラー心理学についてはまったく無知な私ですが、直感的に共感できることは受け入れる用意があります。

後は自分で咀嚼すれば良いことですから。

課題の分離とは、自分の課題と他者の課題を分けることのようです。

アドラー曰く、「あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと(あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること)によって引き起こされる」とのことです。 

大切なことは、自分の課題に他者を踏み込ませてはいけないということのようです。

心のセンターラインを無神経に越えて来られたときにハッキリとNOを突きつけることができるか?

世の中には、社会的な地位や経済力を盾に強迫観念を巧みに助長する本当に悪い奴がいますね。

反省を強いることで心理的に脅す人たちです。

このような人たちと関わってはいけません。

それを見分ける分別を私は、集談会で学ばせていただきました。



2023.4.12 一世

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〇〇真面目と心の自由!

2023年04月11日 06時09分52秒 | コラム 



大阪水曜ほっと集談会一世です。

早朝よりふさわしくないので、伏字にしております。

〇〇真面目やな!

何度この言葉を聴いたことだろう!

いわゆる融通が利かないというネガティブな意味で言われ続けて60年!

当然のごとく真面目ではなく、かくあるべしに翻弄されてきた人生でありました。

神経質者にとってなおるとはどういうことか?

私が森田療法に求めていたのは何であったのか?

その答えが平易な言葉で語られているのを発見しました。

以下、日々愛読している「そのままのあなたですべてよし」より抜粋させていただきます。

※たんに森田 博士が言ってるのだから 正しい、と言うのであれば危なっかしい。

 学んだことがかくあるべしとなって人間性を無視した教条主義になってしまうかもしれない。

 つまるところ 森田理論に学ぶということはこうではないか。

 以前にくらべて ご本人が、心の自由をえられたかどうか ~そこにかかっている。

そう 私は思っている。

「心の自由」という表現が妙に心に落ちた私です。

人と比べてどうのこうのでは、なかったのです。

あくまで私の中に元々あった好奇心や自然な感情を取り戻しただけなのです。

そういえば最近私の身近に起こったこと、変化をお伝えしたいと思います。

●森田療法に出会った10代に戻ったような気がする。(錯覚)

●発見会以外で心の問題について話すことのできる友人・知人が増えた。

●娘に褒められた。(かつてほとんどない)

●嫁に感謝の言葉を言われた。(かつてまったくない)

●孫と友達みたいに遊ぶ。

●職場を退職したスタッフとも交流が続いている。

●検査にあまり行かなくなった。

●やりたくないことは、やらない。

●嫌な人間やミーティングはスルー。

●不当なことを言われたらとことん怒る。

●明日できることは今日はしない。

●どこに行っても何かの役割が与えられる。(役職ではない)

●ウエストが20年前に戻り、昔のズボンがはける。

●まあ、いいかと言うことが増えた。

●やろうと思うとすぐにやるようになった。

●人の良い面を探してほめて、悪いところは極力言わない。

●何でも美味しい。

●このわけのわからんブログを書くために朝5時に起きられるようになった。

●ふと、幸せであると感じることが増えた。


2023.4.11 一世



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タケノコ掘りと人のために尽くす!

2023年04月10日 07時24分29秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

この時期旬といえば たけのこですね 。

天ぷらや吸い物、タケノコご飯など大好きです。

毎年友人や集談会の仲間の皆さんにも少しおすそ分けして喜んでいただいております。

ところで今年82歳になる私の父は、たけのこ掘りの名人です。

 私は役に立たないので、いつもついていくだけです。

さて 先日ZOOMミーティングで人のために尽くすとはどういうことかというテーマで話をしました

私はこの時期 たけのこを掘っていますと言いました。



後で考えましたが 全く話題からずれていることが分かりました。(笑)

しかしながら大きなことを言ってもできない私です。

昨年還暦を迎え、ボランティア活動に関心があり少しでも社会への還元と思い、何回か行きました。

先日その研修会でボランティアの基本は、まず無理をしないことと言われました。

その通りだと思いました。

集談会はボランティアではありませんが、以前集談会活動をやりすぎて集談会燃え尽き症候群になられた方がありました。

何事も適応しようとしすぎますとかえって自分を苦しめることになります。

職場における適応障害もどこか 完全に周りに合わせようとする 無理があるのですね。

人のことはどうのこうの 言えません。

ちょうど 昨年の今頃は 人間関係から適応障害に陥っていた私です。

私が父から学んだことは自分がやりたいからするという自発的な行動です。

父は森田療法など全く知りませんが生きる知恵を教えてくれました。

私は神経質傾向を持っている向上心の強い母もすごいと思いますが、神経質でない自然体である父もとても尊敬しています。

ちなみに父は義務教育を終えただけですが、人間味にあふれた人で、82歳の現在も現役の正社員です。

今日の森田博士の言葉

私がいつもいう「純なる心」から出発することによってそこに本当の人間味が現われてくるのであります。

 純なる心から出発する時には少しも「ために」するところがありません 。

「ために」するところがないから人から誤解をされることを恐れず報酬がなくとも満足なのであります。



2023.4.10 一世

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大切な人生を他人に委ねてよいのか?

2023年04月08日 06時44分24秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

私には御年90歳になる知人がいる。

健康についてとことん研究されて食事から睡眠まで自己管理されている。

靴には鉛が装着されている徹底ぶりである。

自分の体は、自分で守る姿勢がすごいと感じた。

ところで、最近検査はできるだけ減らしている。

これはあくまでも私の個人的な判断であり、賢明な読者の皆様は咀嚼していただけると信じている。

私自身、心の不安からまたは自分の無知から安易に医療機関を受診し、かなりの医療費を負担してきたがその大半は杞憂であった。

もちろん微細な異常は見つかったが、むしろ薬の副作用による不調の方が多かったと思う。

失礼ながら最近は内科と心療内科を看板にする医療機関も多いが、専門外は無知であることもある。

検査結果で異常がなかった時に、これはメンタルの問題であると指摘されたこともほとんどない。

いわんや、あなたには森田療法が適しているとか言われたことは全くない。

薬は山のように出されたことはあるが。(笑)

おまえは、何が言いたいのか?(心の声)

私が言いたいのは、もっと大切な自分の心や体を見ず知らずの他人に安易にゆだねるのは止めようというメッセージである。

職場環境、家族の問題など全く知らない他人が血液検査の結果で判断するのは致仕方がない。

しかしながらそこから先は自分の判断も必要である。

検査数値を正常にすることのみを目的とする生活をするのか、検査数値がずれていても日々楽しいことを優先するか、それは自分次第ではないか!

せっかく森田療法を学んだのであれば、せめてこの症状は心の問題によるものか器質的な原因によるものか、少し考えるだけの余裕を持ちたい。

私は森田療法を通じて、ネガティブ・ケイパビリティについて学んで本当に良かったと思う。

※今日の心に響く言葉

変えられないものは受け入れるしかないと思うんです。

病気や老いに対する不安を持つ高齢者はなおのことです。

逆に、変えられるものは変えていったほうが良いでしょう。

そのためには、変えられないものと変えられるものを見分ける賢さが必要です。


帚木蓬生氏インタビュー記事より抜粋



2023.4.8 一世


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

抑鬱は貴重な感情体験?

2023年04月07日 08時12分46秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

今日は朝から激しい雨です。

桜が散るのは残念ですが、雨になると心が軽くなる私です。

さて、還暦を境いに人生が一変したように感じています。

一言で言いますと心が柔らかくなった気がするのです。

また自然界の様々な営みが生き生きと心に入ってくるのです。



神経質症で苦しんでおられる私より若い皆さんに言いたいのです。

神経質者は60代からが最高です。

さて昨日メンタルヘルス岡本記念財団の「心の健康セミナー」のYouTube動画を視聴させていただきました。

今回は抑鬱についての※北西憲二先生へのQ&A形式のインタビューがその内容でした。

勝手に要約しますが、「抑鬱はこうあるべきであるという発想から柔軟な行動がとれなくなり行きづまった結果、今までの生き方を見直す警告であり、貴重な感情体験である」とのお話にとても共感させていただきました。

私自身抑鬱とは極めて人間らしい感情であり、人生の最大のギフトであったと感じています。

そういえば、猫が落ち込んでいるのはあまり見たことがありませんね。

抑鬱や高齢者などをネガティブにイメージさせる報道やSNSに惑わされてはいけません。

事実は必ずしもそうではありません。

抑鬱ほど生きていることを実感させる感情体験はないのです。



2023.4.7 一世

※北西 憲二先生 森田療法研究所所長・北西クリニック院長

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする