大阪水曜ほっと集談会一世です。
世の中には残念ですが神経質者の生真面目さや責任感の強さに巧みに浸け込む人々が存在します。
私は、これを心のオレオレ詐欺と呼んでいます。
理解者のふりをして利用しようとする人々のことです。
さて、とらわれるとはどういう状態か?
森田博士の見解はシンプルかつ明瞭です。
以下「自覚と悟りへの道」より、
※「行き詰まったような感じがする」というけれども、それは感じだけで本当に生き詰まらないからいけない。
不可能と可能の区別を知ろうとせずに、「こうありたい」ということと「しかし、できない」という二つの循環論理になるから、果てしがなく、いつまで経っても行き詰ることができないのであります。
こんなとき、一番たやすいことは、とらわれになりきればよいのです。
ではなぜ私たちは特に対人関係において、不可能と可能の区別ができないのか?
アドラーの説く「課題の分離」ができていないことに一つのヒントを感じます。
他人の課題を自分の課題として背負ってしまう。
そのことで家族や職場が円滑にまわることで、本来の自分の感覚が麻痺してしまう誤りです。
アドラー心理学についてはまったく無知な私ですが、直感的に共感できることは受け入れる用意があります。
後は自分で咀嚼すれば良いことですから。
課題の分離とは、自分の課題と他者の課題を分けることのようです。
アドラー曰く、「あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと(あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること)によって引き起こされる」とのことです。
大切なことは、自分の課題に他者を踏み込ませてはいけないということのようです。
心のセンターラインを無神経に越えて来られたときにハッキリとNOを突きつけることができるか?
世の中には、社会的な地位や経済力を盾に強迫観念を巧みに助長する本当に悪い奴がいますね。
反省を強いることで心理的に脅す人たちです。
このような人たちと関わってはいけません。
それを見分ける分別を私は、集談会で学ばせていただきました。
2023.4.12 一世