Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

泣き・笑い

2006-07-04 | 想い・雑感
 「泣いたカラスがもう笑うた。」
 私が子供の頃、泣いていたのにちょっとしたことで今度は笑っているのをみて、親からこのように言われたことがある。たやすく変わる感情の表出をからかいつつも、笑顔になって良かったという親の温かい心を感じさせられた。自分自身にすこし照れくさく感じながらも。

 この泣き笑いの変化は、子供故に感情コントロールが未熟という風に見ることも出来るが、素直に感情を出せる素直さはすばらしいと思う。泣くのも笑うのも感情自体ではなく行動であり、実際に行動に移せると言うことだ。感情を押し殺し、内心とは別の表情を作ると言うことは、その人が気づかないうちにきっと多くのストレスを蓄積し続けることになる。

 笑いが体に良い影響を与えることはいろいろ言われているし書かれている。きっと事実だろう。

 でもいつも笑えるわけではないよね。泣きたいときもあるよね。

 泣きたいのをじっと我慢、なんて言うのは良いことかと言えば、やはりそれは自分の感情を抑制しているのであり、本当に悲しければ思いっきり泣いた方が良いと思う。声を出して泣くことにより、心の中の苦しみや、悲しみも少しずつ洗い流されていくはずである。

 「人生泣き笑い」という言葉がある。そういわれると、確かに泣き笑いが人生を作り上げているような気がする。そして実際に行動として泣いたり笑ったり出来る方が、人間としてより自然な姿なのだと思う。

 「泣きなさあいー♪、笑いーいなさーあーーい♪」

 

心を失う

2006-07-04 | 想い・雑感
 時の流れとは不思議なもので、物理量としてはおそらく変化はないのだけれど、心の在り様によって早くなったり遅くなったりする。

 若いころに、「忙しいという字は、心を亡くすと書く。」といわれなるほどと思わされた。それ以来、1:忙しいという言葉は極力使わない、2:心があわただしくなってきたら、一つずつ一つずつととなえる、ということを実践してきた。

 ただそれだけのことで、随分と足元を見つめつつ、周りの風景もみつつ生きていけるような気がする。仕事が立て込んでいるときでも、周りからはそうばたばたしている様には見えないようでもある。時の流れ方が少し変わってくるのである。

 でも今回膝を痛めて、日常の行動自体をゆっくりすることを余儀なくされてみると、まだまだ慌ただしく生きている面が多いと感じた。人生の今というステージでそれが良いことか悪いことかはわからないが。