浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

五十路過ぎ振り返り見ば
我が人生罪と恥との
積み重ねなり

「心行の解説」より。

2014-04-03 01:18:53 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ 上のお写真はネパール最大の火葬場バシュバティナートです。
   このお方の火葬の後の灰はすぐ傍の聖なるガンジス河の支流
   バグマティ川へ流され御霊は天の御国へ召されたと思います。


       ~ 恩師の「心行の解説」より ~


         「正しく定に入るべし」


正しく定に入るとは、
自分の心をよく見詰めて「反省」をしたあと、一時の安らぎの時間を持つことです。
今日は「反省」について学びたいと思います。
反省とは、自分が生まれてから今日までの間にどれだけの過ちを犯したか、
それは、思いの中で、言葉の上で、
また行いの上でとうであったかと徹底的に自分を見詰め自己反省をすることです。
幼い頃の反省に入りますと、必ずお母さんが出てきます。
もし友達と喧嘩して、友達に傷をつけたり友達を泣かしたりした時、
お母さんはわんぱく坊主に代わってお詫びに行って下さいます。
また何か悪いことをして見つかった場合や他の物を盗んだ時には、
やはりお母さんが謝りに行って下さいます。

私が幼い頃を反省した時の話をもう一度今日させていただこうと思います。
私が小学校一年生の時ですから、七歳ぐらいの頃のことです。
友達は百姓の子もあればサラリーマンの子もあり、お店をしている家の子もいました。
そういう子供たちは全部遊んでいます。
私の場合は水呑百姓ですから学校から帰って鞄を置くなり、「今日はどこの畑に来なさい」
と言われて、すぐ鎌か鍬を持って畑へ行くのです。
そして畑の側で遊んでいる友達を見ては「ああ僕もいっしょに遊びたいなあ、羨ましいなあ」と、
常に友達と自分を見比べて、皆は遊んでいるのにどうして僕だけ畑へ行かなくてはいけないのかと、
自分の運命を思ったものでした。
たまには遊びたいという思いが昂じて、ある時、嘘をついて畑へ行くのをさぼったのです。
「今日は友達とどうしても勉強しなくてはいけないから」と、親に嘘をつき鉈を持って、
竹トンボを作る竹を取りによその竹藪へ行ったのです。

そこは凄い急斜面の竹藪で、
小学校に入って間のない頃ですから私にとってはちょっとした冒険です。
竹藪の中に入って手頃な竹を見つけ片足をその斜面にあげて落ちないようにしてから鉈を振り下ろした時、
自分の足をスパッと切ってしまったのです。
足の外踝の上十センチ辺りに鉈が当たってしまいました。
ここは案外血管も少なく骨が近いところですからパカンと割れて真っ白なみと中の骨が見えています。
さあ、これはえらいことをしたと思いました。
もし畑とか仕事をしていて怪我をしたのなら、
「お母ちゃん、えらいことをした、何とかして」と言えるのですが、
嘘をついて隠れて悪いことをしたのだから言うこともできません。
まず血が出ないようしなくてはいけないと考えたのです。
私は田舎で育ったので薬草や血止めの草のことをよく知っていましたから、
血止めの草を取って、ぐっとしぼって傷につけて、その上から血止めの葉で押さえ、
ここを何とか括らなくてはいけないと思って、やっと道まで出て来て、
道の端に落ちていたボロ布で足を縛ったのです。


            ~ 感謝・合掌 ~








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