浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

五十路過ぎ振り返り見ば
我が人生罪と恥との
積み重ねなり

「心行の解説」より。

2014-04-05 03:25:37 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ お写真は今日のインドではビハール州にある紀元前5世紀頃に創設された
   最大の仏教の学院(今日で言う大学)の遺跡です。
   当時、学生1万人以上、教師も1,000人を数えたと言われています。


              ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

不思議なもので、三日、四日、五日と坐って一つの事をずっと追求しますと、
その時の場面がほんとうにそのまま出てくるのです。
私が足をパアッと切った時の感覚がはっきりと出てきます。
あの時の肉が裂けたあの感覚がはっきり再現されるのです。
だからほんとうに反省に取り組むと、その時の状況が詳しく思い起こされます。
この時、親に友達の名前を告げたはずです。そこで、友達の立場に立って考えた時、
自分の所へ遊びに来ていないのに、来て怪我をしたと言われたら、
その友達はどんな思いをしただろうか、またどんな思いで私という人間を見たであろうか、
相手の立場に立って自分を見た時、「ああ、申し訳なかったなあ」と思います。

私は幼い頃から、想いの中では何と悪い奴、悪知恵ばかり働いて、嘘をつくことばかり思って、
何と嫌な人間だということがよく分かります。
次に母の立場に立って考えてみました。母は足の怪我を見てびっくりしましたが、
これは友達の家で怪我をしたのではないことぐらい分かっているはずです。
血止めの草をすりつけてボロ布で巻いているのですから、これはおかしいなと思ったはずです。
そのことよりも、「ああ痛かったやろうな、可哀そうになあ」という母の愛のほうが大きいのです。
その母に対して、小さい七歳の私が嘘をついている、その己というものを見詰めた時に、「何と申し訳ない、
お母さんの愛に対して幼い頃から嘘をついていた私、どうか許して下さい」と泣いてお詫びをさせてもらったものです。
その時、もし羽があれば飛んで帰ってでも土下座して母にお詫びがしたい気持ちが湧き上がってきました。
しかし羽はありませんし、帰れないので、すぐ電話をさせてもらったのです。
電話の向こうで「もしもし」という母の声を聞いたとたんに、心は幼な子に返っていました。

私は子供の頃、母を「おかあちゃん」と呼んでいたのです。
電話での声を聞いたとたんに、「おかあちゃん、堪忍してや、堪忍してや」と言ったまま
電話器を持ってワンワン泣いてお詫びしていました。
母親の愛というのは有難いものです。
突然電話に出て、幼い頃の呼び方で「おかあちゃん
堪忍して、おかあちゃん堪忍して」と泣いていたから、「お前、頭は大丈夫か、
頭がどうなったのと違うか」と気遣ってくれます。
「僕は幼い頃から親不孝ばかりしてきました。どうぞ許して下さい」と言いますと、
「頭は大丈夫か」と尋ねられたのです。
「私の言っていることは頭がおかしいように聞こえますか」と聞くと、
「いや別におかしゅうはないけどな、いい年をしてそんなに泣くな」親というものは何を知っても心配して下さいます。
次には、どうしようもない罪深い己自身の姿ですね。その時、
今反省をさせてもらったいる自分の意識でもって幼い時の悪餓鬼の己自身に対して、
「やさしい提言」を与えなさいと教えられました。
優しい提言といいますと、これは難しいことです。つまり自分に、慰めと励ましを与えなさいということです。


                  ~ 感謝・合掌 ~






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