※ お写真はインドのナーランダーに在るお釈迦様のお弟子で智慧第一と言われた
シャリープトラーのストパーです。
~ 恩師の「心行の解説」より ~
先の続き・・・
私たちの心の中には想念帯という心の曇りの場所があるそうです。
それは私たちの肉体の五官の感覚によってできているのですね。
想念帯が破れた時に、この五官の感覚が全くなくなってしまいます。
そのことがあとになって分かって、
その時の状態はこういうふうになったのだなと知ることができました。
その時の心境は、もう見るもの見るもの全部が愛しくていとおしくてたまりませんでした。
そこらに生えている草、林の中の樹々を見ると、ああ良かったなあと草に頬ずりをし、
樹に抱きついて喜んだものでした。
何ともいえない喜びに満たされるものです。
ちょうどその頃、私が反省のため山に入らせていただく直前に、東京から偉大な方と
言われていた人が来られたのです。
その方の講演を聞かせてもらいました。
「坐って反省することは要りません。反省する時期は過ぎました」と、その先生が
話されるの聞いて、「これはえらいことになったなあ、
私は何のために山に入っていくのかなあ、何のために坐りにいくのかなあ」と、
すごく疑問を持ったのです。
しかし、行く日も決まっているし、荷物もまとめていましたから、
そのまま反省をしに行って坐らせていただきました。
その結果、私はすばらしい喜びを頂きました。
正に心に法灯を頂いたと思います。
この喜びは口や言葉ではとても言い尽くすことのできない喜びです。
法の喜びですね。この時私は、「あの東京の先生は間違ったことを言われた、
坐ってする反省は要らないとおっしゃった、
しかし私は坐ってこの喜びを得た、坐ることなしにこの喜びは絶対に頂けないはずである。
だから坐ってする反省は要らないというのは全く間違っている」と、
自分の体験をもって、見抜きました。
自分が反省の実践をして掴んだこの喜びは、誰が何と言おうと、
どんな偉い人がどう言おうとそれとは関係がない私の心です。
そして間違いのない事実です。
だから頭や口でそういうことをおっしゃっても、
それは間違いであるということはっきりと言いさることができます。
そういう体験をさせてもらって、反省とは有難いものだなあ、
こんなにも自分が楽になれるものだと分からせてもらいました。
~ 感謝・合掌 ~