※ お写真はお釈迦様が瞑想・反省をされている所へ悟りを妨害するために
マーラがお釈迦様を誘惑にきたものを壁画として描写されたものです。
~ 恩師の「心行の解説」より ~
先の続き・・・
今の数えきれないほどの多くの宗教は、
お釈迦様がお説きになった教えとは似ても似つかないものに変わっております。
今の仏教とは、まず京都のお寺などで見られるような、
お客がお金を払って入る観光寺院と、
もう一つ、私たちに切っても切れないお葬式です。
お坊様といえば葬式、葬式といえばお坊様が必要不可欠の存在になっています。
まず人が死ねば枕経、葬式のお経、火葬場でのお経、お骨をあげに行った時のお経、
お骨をあげてお寺へ帰ってきてからのお経、死後七日ごと四十九日までのお経、
むかわりのお経、そして、あくる年がまわってきて三年のお経、七年のお経と続きます。
「お前死だらわしゃうれしい、七日七日に米五合、むかわり三年、また七年」といわれています。
一人死んでくれたら次々とお布施が入るわけで、昔はお布施は米五合を供えたのですね。
四国へ行かせてもらった時、そこの主人はお坊さんとよくカラオケに行くそうです。
そのお坊さんが、「どうも不作でいかん。もう少し死んでくれないかなあ」といつも
言っているというのです。死んでくれないと収入がないのです。
お釈迦様の当時はこんなことは絶対になかったのです。
お葬式に出家された方がお参りするということは絶対にありません。
お坊さんはお葬式とは全く関係がない存在だったのですね。
~ 感謝・合掌 ~