※ お写真は天上天下唯我独尊のポーズをとられた生誕直後のお釈迦様の立像が
安置されているルンビニに在る旧の麻耶堂を見学された恩師「長尾弘」先生です。
~ 恩師の「心行の解説」より ~
先の続き・・・
人間には、「私がしてやった」と、恩にきせたがる心があります。
これも凡夫の心です。
恩にきせられたら、どんなにいいものを貰ったとしても有難くないものですが、
ましてや小指の先ほどの苺や出荷した後の小さいへた芋を人にやって、
「あそこの家へやった」と言いふらしているのは、そんなものでさえ恩にきせたがる
凡夫の心を見る思いがします。
「させていただく」と、「してやった」という心では、全く天と地ほどの違いがでてきます。
私たちは、数えきれない方々の働いて下さったお陰を受けて、生きさせていただいています。
米一粒、住む家一つみても、どれほど多くの方々の汗と労力を頂いているか分かりません。
私たちが死ぬまで精一杯人様のために働かせていだたいても、
なお返しきれないほどの恩恵を受けているのですから、
「してやる」のではなく、
その万分の一でもお返しをさせて頂くという気持ちで人様のために尽くさせていただく時、
恩にきせることはなくなると思います。
恩にきせる心こそ私たちを苦しめる大きな原因となっています。
してやった、してやった、
といい恰好をして自己保存・自我我欲に捉われる煩悩を捨てることが大事かと思います。
日々の生活において煩悩から離れた思いを学び、精進努力していきたいと思います。
長い年月をかけて「心行」の解説をさせていただきましたが、
私ごとき未熟者がとても解説しきれるものではありません。
「心行」解釈の一端として皆様の参考にしていただければ幸甚でございます。
縁生の友の皆様が幸せになっていただくことが私の幸せであり、
皆様の苦しみは私の苦しみです。
日々に精進努力して共に幸せになっていきましょう。
~ 感謝・合掌 ~