浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「心行の解説」より。

2014-04-06 03:41:46 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ お写真はお釈迦様の御生誕地ルンビニの摩耶堂に安置されているお生まれになられて
    七歩歩かれ天上天下唯我独尊のポーズをとられたお釈迦様の立像です。


         ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

「あなたは幼い頃から、これをしてはいけない、
これはしてよいということをよく知っていました。
それなのに親に嘘をつき、他人の山へ竹を盗みに入って、
自分の大事な肉体に傷をつけて、
あなたはほんとうにいけない子です」というように、
自分を責めることしか思えないのですが、
「今後はがんばりなさい」と励ますのです。
私たちの思いにおいて、
「人様は寛大に、己には厳しく」という生き方が基本にあることです。
これが法の姿だと学んできました。
私は幼い頃から、そのように生きてきました。
その思いが基本にあって、自分を許すことは、
自分に甘くなることだと思い込んでいましたから、
自分には厳しくして、
人を許しもいいけれど自分を許してはいけないと思っていたのです。

だから何回見方を変えてみても、
出てくる答えは自分自身を責める思いしか出てきません。
自分を許すことはできないものと思っておりました。
皆様も、
過去にあった間違いに対して完全に心から許している方はごく稀だと思います。
自分を許せないのが、自分の良心です。
自分は悪いことをしたと、その良心が自分を責めるのです。
反省させてもらって、
自分というものを見てきた時、許せないものだから、
「草一本、木の枝一つにしても人様のものを取ってはならないことを知っていながら、
どうしてそのようなことをしたのか、これはいけないことだ」といって、
自分を責めたてるので、どう見ても反省ができないものですね。

何百回繰り返しても同じ答えしか出ません。
そこで、私のような者が法灯を頂くのは無理だと諦めました。
集中的な反省は、自分の心の法の灯を頂くためにするそうです。
例えば、
夜の真っ暗な部屋に机や物が置いてあり、皆さんがその中にいたとします。
真っ暗だからどこに誰がおられるのか全く分かりません。
小さいローソクの灯が一本あれば、ああここに居るなあということが分かります。
私たちの心の中は反省ができていなかったら真っ暗な部屋と同じことだそうです。
真っ暗な心の中を反省して、ある一つを越えた時に、心に小さい法の灯が灯るそうです。
その法灯を頂くために反省をするのですね。
ローソクが日本になったらまたよけいに明るくなります。
よく反省をして法の灯が心に中に何本も点ったら、
小さいごみが落ちているのまで見えるはずです。


            ~ 感謝・合掌 ~






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