※ 恩師がインドの大統領の招待を受け大統領官邸を訪問された時のものですが、
主客転倒で恩師が大統領を案内しているようなお写真です。
~ 恩師の「心行の解説」より ~
「かくのごとき正法の生活のなかにこそ神仏の光明を得」
心を苦しめないから、神仏の光を頂くことができるのです。
自分の心を苦しめた状態の時に神仏の光が入ってくることは絶対にありません。
常に心を穏やかに安らかに保つことによって、神仏の光明を得ることができます。
「迷いの岸より悟りの彼岸に到達するものなり」
「迷い」とは、この世に生きていろいろな錯覚を起こすことです。
今ある命はいつまでもあるように思いますが、この錯覚が迷いです。
「いつまでもあると思うな親と金」といいますが、これだけではなく、
自分の命もいつまでもありません。
また、この世には苦しみがあって当然であるのに、
この世は楽な世界と錯覚しています。
お釈迦様は諭されたように、「常に苦しみがあって当たり前の世に中」と、
悟ることができたら、少々の苦しみがあっても当然だと思うことができ、
心は楽になるはずです。
さらに、不浄なるものを浄なるものと錯覚を起こし転倒してしまうのです。
このように錯覚を起こしていることが迷いです。
仏教ではこの苦しみ迷う世界を此岸(しがん)といい、
悟った向こうの岸を彼岸(ひがん)といいます。
彼岸に到達するには、正しい生活の実践をしなければなりません。
~ 感謝・合掌 ~