※ お写真はお釈迦様が好んで法をお説きになられた霊鷲山(りょうじゅせん)にて
瞑想・禅定されている我らの恩師「長尾弘」先生です。
~ 恩師の「心行の解説」より ~
先の続き・・・
私はいくらやってもできないから、もう諦めたのです。
諦めてごろんと転がって、
「私のような者が心に法灯を頂くというような大それたことはありえないことだ、
それは心の綺麗な尊い方だけができることである」と完全に心から捨てました。
捨てるまでにはもういやという程、己を見つめたのですが、どうしてもできないのです。
そして天を見ていると、木陰の葉こぼれの光彩がずっと入ってきて、
その何ともいえない光を見ていると、「あんなふうに光を頂けたらいいのになあ」と、
また欲が湧いてきて、もう一回起きあがったのです。
しかし自分ではどうしようもない、もしも守護霊様が私についていて下さるのならと思って、
「守護霊様、私はどうしてもできません。
どうぞ正しい反省の仕方というものを私に教えて下さい」と言って、一生懸命お祈りしたのです。
その時、
ほんとうに不思議なことに右前方の手の届く辺りに、
私の幼い頃から四十半ばまでの間の自分の姿が写し出されて、みんな見せていただけたのです。
それこそ立体的で、その当時のありのままの姿・行動・出来事などが見えました。
どのくらいの時間が過ぎたか分かりませんが、あまり長い時間はかからなかったと思います。
まさに意識の世界は時間、空間、距離というものとはいっさい関係がないということを
はっきりと分からせてもらったのです。
その自分の姿はまた何ともいえない哀れなものでした。
自分に与えられた環境の中で、
「ああしたい」「こうしたい」と思いながらもどうすることもできない柵にがんじがらめになりながら、
必死に生きている姿を、まざまざと見せられました。
~ 感謝・合掌 ~