せろふえ

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楽器を演奏する肉体的快感について

2019年09月23日 | 音楽
 チェロを弾く、と言うと「いいですねえ、チェロ良いですよねえ。昔からチェロが弾けたらいいなあ、と思ってるんだけどねえ」などと言われることがよくある。それなら弾いたらいいじゃない、40からだろうと60からだろうとできますよ、退職してから始めた人も知っていますよ、と思うのだけれど、たいてい、そんな気はさらさら無いのがわかるので、だまっている。
 リコーダーを吹くと言っても愉快な反応があるはずがないから、こちらは最初から言わない。3分間あれば、それも黙らせてやる、とも思うけれど、ま、そんなこと言わなくても良いかな。
 自分だって、チェロかっこいいなあと思って始めたんだし、時々(しょっちゅう)リコーダーより、トラベルソの方がかっこいいかな、と思って吹いたりするし、あまり人のことは言えない。
 実際、トラベルソを吹くと毎日吹かなきゃダメだと思って、2,3週間は一生懸命たとえ五分でも毎日、と吹いたりするのだが、結局根気が続かないのか、挫折してしまう。禁煙できない人、ダイエットをし続ける人の気持ちは良くわかる。
 マーク・トウェインだっけ?「禁煙なんか簡単だ。俺は何回もやったことがある。」

 トラベルソを吹いていつも感じることは、リコーダーより、チェロより、肉感的だと言うことだ。肉体的快感が大きい。
 昔、所属していたアマチュアオーケストラの運営方針で議論白熱。お前はなんでオーケストラに来てるんだ?なにを求めて毎週毎週練習に来てるんだ?と聞かれて、小考ののち「肉体的快感」と答えた。(もちろん色々思うところはあったけれど、、、)楽器を弾くことそのもののうれしさ、楽しさ。
 本当に音楽そのものを楽しむには、自分で演奏なんかしないで、CDでも聞いて、本質を聞き取った方が良いのかも知れないけれど、やっぱり自分で音を出したい。なぜ?やっぱり肉体的快感かな。
 自分で音を出す快感は、リコーダーはあまり大きくない。音量の大小の幅のとおりで、小さな幅の中にそれはある。無いわけじゃないけれど、非常に抑制された、コントロールされたものだ。
 チェロの方がリコーダーより肉体的だが、トラベルソの方がさらに強く感じる。腕よりも息の方が、より体(脳?)に近い、と言うことかも知れない。
 ピアノはどうなのかな?もっと理知的な感じもするし、いやいや体力要りそうだし、チェロと同じくらい肉感的な感じもする。(あくまで演奏から得られる肉体的快感の話だ。)
 オーボエは相当大きそうな感じがするが、コントロールするのに巨大なエネルギーが必要なような感じだし、楽しむにもエネルギーが必要なのかな?
 もちろん歌えれば、歌うことがもっとも肉体的なのだろうと思う。

 同じ曲をリコーダーで吹いたり、トラベルソで吹いたり、時にチェロで弾いたりすると、同じ曲でも印象がずいぶん違う。それは当たり前だけれど、作曲家が想定した楽器、あるいは演奏したであろう楽器の曲を、その楽器で吹くと、たいていなるほどそういう意味かと発見する部分がある。音楽的と言うより、やはりそれは楽器を演奏して得られる肉体的快感なのだ。これは実際に演奏してみて感じなければ絶対理解できないものだ、どんなに下手くそでも。




(2006年に書いたもの。ちょっと変えた。)