
突然ですが、昨日こんなことを、言われた、お話。
”あなたを幸せに出来る男性なんて、そういない。
1万人いたとしたら、ひとり、いるかいないかだよ。”と。

私は低血圧なので
(頭に行くまでに、時間がかかるので)
何か言われたとき、とっさに反応できないのだが
だんだん脳まで到達して
これが、かなりショックなコトバだった

感知する。
目の前にいる人から
こんなことを言われるとは、思っていなかった。
こういう言葉を言われたのは
実は何度も、ある。
20代の頃なんて、よく言われた。
要は、私はファミリービジネスをしている家の娘なので
私と結婚するということは
つまり、お婿さんかなにかに
ならなくてはいけないのだろうか、とか
大変そうだなあ、とか
確かに、社会に出たそこそこの立場の社会人だったら
そんなことも思うだろう。
でもまさか、この年になって言われるとは、
正直思っていなかった。
だって、
私たちはもう、社会に出て20年近く経っているのだし、
どんな仕事につこうが、
どんな人と結婚しようが、
大変と思えば大変なのだし、
幸せと思えば幸せなのだ、ということが
わかっている年代だと思ったからだ。
バブルでGO

キラキラ

他の何にもまして、<ステイタス>だったし
私も、ひとまず外資系の企業で働いていたので
大きな企業で働くという重要な意味はようくわかる。
でも、30代半ばを過ぎてくると
転職をする人も多いし
家業を継ぐ人も出てくるし
子会社へ出向する人も出てくるし
それぞれの、生き方を選ぶようになり
それぞれが、頑張っている姿をみて
自分も頑張ろう

これは、
男性だから、とか
女性だから、とか
<そんなの、関係ない


ぢゃあ、離婚して
子供を一人で育て上げたからか?
(もう今年で12歳なので
いわゆる子育て、の部分は卒業した感が、あるので)
それの、何が悪いんだろうか。
人生で、失敗があって、何が悪いんだろうか。
それが、重いっていうことなんだろうか。
(体重は軽くはないけど・・・

私はこうしてブログでも
実生活でも、堂々とこのことを話している。
だって、私はこうしたことから
多くの気づきを得て
多くのことを学んで
多くの人に支えてもらって
そして、とても、幸せにしているのだから。


”幸せになれると、いいね。”
”どんな人がいいの? 会ってみるだけ、会ってみる?”
私なら、目の前にいる人に
こういう
幸せな、予告 あるいは
幸せになるような言葉をかけるだろう。
<あなたを幸せに出来る男性なんか、いないよ。>
とどうして言えるのだろう。
そんな、相手が悲しくなるような予告
(あるいは予言というのでしょうか)を
なぜするのか・・・私には理解できない。
人生のちょうど中間地点まで歩いてきた私たちは
それぞれが
それぞれの、荷物を背負っている。
背負いながら、幸せを感じながら生きていく。
私は、今、目の前にいる人を大切にしようと思う。
限られた時間の中で会っている時には
お互いが幸せになれるような
コトバをかけていこう

そんなふうに、思うし、願う

でも、この<出会えない予告>にも
感謝を、してみる。
だって、
反対に、絶対に私は
私をまるごと愛してくれる人と出会うんだ

って、ココロの底から自分に
幸せの、予告をすることが出来たから。
