言葉の、ニュアンス
昨日は終日、香港の方々とご一緒だった。
内政省の事務次官をはじめ
香港文化博物館の館長の方などなど。
香港では大規模な開発計画があり
そこは<文化>をテーマに
美術館などが建設されるのだという。
そこで、日本の最新の美術館の視察に
いらっしゃったのが今回の目的。
まずは歓迎の昼食会。
その席には
日本側としては文化庁長官をはじめ、
国立美術館、国立西洋美術館、国立新美術館、森美術館・・・
日本を代表する美術館の館長の方々。
シャンパーニュで、乾杯
香港の方との会食会は
日本側も皆さん、英語でご挨拶される。
美術館の館長をされる方々って、美術にだけ
長けているわけではないんだ・・・
皆さん、とても流暢な英語で
日本の現状の<文化>や<アート>
そして<美術館運営>についてお話される。
・・・というわけで、
私の耳も久しぶりに、英語耳と、なる。
テーブル・スピーチでは
メインランド出身の学者の先生は中国語と日本語でのスピーチ、
をなさるので、
英語と中国語と日本の3ヶ国語が
飛び交うテーブル。
私にはスピーチの番はまわってこないだろうと思っていたら
マイクが・・・
実はなぜ、私がこのランチョンに参加しているかというと
ランチョン会場が
先日の福田首相と胡国家主席の夕食会の会場で
歴史的に日中友好の場、であることと、
香港サイドの主賓、
Mrs,キャリー・ヤウのご主人の曽祖父が
やはり孫文の革命初期のメンバーであったというご縁から
私はこの場には
<歴史的>な<日中友好>のメンバーとして
ご一緒させていただいた。
このお席には以前からお目にかかりたいと
願っていた
法政大学教授の王 敏先生もいらしていて
とても充実したランチョンとなった。
ランチョン終了後、香港からの視察団は
森美術館へ。
その後、夕方には
香港からの視察団の皆様は
梅屋庄吉資料室にいらっしゃることに。
資料室にて、香港の皆様と
さすがに最初、お茶を飲みながらの懇談は
英語でしたものの、
歴史史料の説明は、プロフェッショナルな通訳の方にお願いする。
通訳の方にはいつもいつも頭が下がる。
今回は日本語⇔英語の通訳の方だったので
英語で何を話しているのかが良く分かる。
(通常、史料の説明時は中国語の通訳が
入るので、どういうふうに訳されているのか
全く、わからない。)
なんというか、細かい部分までも
私の日本語よりも
さらに良い表現の英単語を選び出して、訳されているのを聞くと
感動すら覚える。
すご~く久しぶりに、英語漬けの一日となって
大変脳の活性化に役立ったハズである。
Mrs.Carry Yauと
孫文の若き日の仲間、Yau氏の曾孫の奥様にあたられる
Mrs.Carry Yauから、
ミニチュア・孫文の像を頂く。
孫文の時代も
日本人と中国の方々は
日本語と英語と中国語を駆使してコミュニケーションをとっていた。
今もそれは変わらない。
・・・最近、中国の方とコミュニケーションをとる機会が多い。
もちろん、私は中国語は
<ニイハオ><シェイシェイ><サイチェン>くらいしか
話せないので、彼らが日本語を話してくれるのだが・・・
その、日本語が熱いのだ。
たしかに、
”ようこそ、いらっしゃいませ”
が
”熱烈歓迎”
になるのだから、なんというか、
同じことをあらわしているにしても
ちょっとHOTな感じがする。
そんな、言葉のニュアンスの違いを
感じている
今日この頃。
昨日は終日、香港の方々とご一緒だった。
内政省の事務次官をはじめ
香港文化博物館の館長の方などなど。
香港では大規模な開発計画があり
そこは<文化>をテーマに
美術館などが建設されるのだという。
そこで、日本の最新の美術館の視察に
いらっしゃったのが今回の目的。
まずは歓迎の昼食会。
その席には
日本側としては文化庁長官をはじめ、
国立美術館、国立西洋美術館、国立新美術館、森美術館・・・
日本を代表する美術館の館長の方々。
シャンパーニュで、乾杯
香港の方との会食会は
日本側も皆さん、英語でご挨拶される。
美術館の館長をされる方々って、美術にだけ
長けているわけではないんだ・・・
皆さん、とても流暢な英語で
日本の現状の<文化>や<アート>
そして<美術館運営>についてお話される。
・・・というわけで、
私の耳も久しぶりに、英語耳と、なる。
テーブル・スピーチでは
メインランド出身の学者の先生は中国語と日本語でのスピーチ、
をなさるので、
英語と中国語と日本の3ヶ国語が
飛び交うテーブル。
私にはスピーチの番はまわってこないだろうと思っていたら
マイクが・・・
実はなぜ、私がこのランチョンに参加しているかというと
ランチョン会場が
先日の福田首相と胡国家主席の夕食会の会場で
歴史的に日中友好の場、であることと、
香港サイドの主賓、
Mrs,キャリー・ヤウのご主人の曽祖父が
やはり孫文の革命初期のメンバーであったというご縁から
私はこの場には
<歴史的>な<日中友好>のメンバーとして
ご一緒させていただいた。
このお席には以前からお目にかかりたいと
願っていた
法政大学教授の王 敏先生もいらしていて
とても充実したランチョンとなった。
ランチョン終了後、香港からの視察団は
森美術館へ。
その後、夕方には
香港からの視察団の皆様は
梅屋庄吉資料室にいらっしゃることに。
資料室にて、香港の皆様と
さすがに最初、お茶を飲みながらの懇談は
英語でしたものの、
歴史史料の説明は、プロフェッショナルな通訳の方にお願いする。
通訳の方にはいつもいつも頭が下がる。
今回は日本語⇔英語の通訳の方だったので
英語で何を話しているのかが良く分かる。
(通常、史料の説明時は中国語の通訳が
入るので、どういうふうに訳されているのか
全く、わからない。)
なんというか、細かい部分までも
私の日本語よりも
さらに良い表現の英単語を選び出して、訳されているのを聞くと
感動すら覚える。
すご~く久しぶりに、英語漬けの一日となって
大変脳の活性化に役立ったハズである。
Mrs.Carry Yauと
孫文の若き日の仲間、Yau氏の曾孫の奥様にあたられる
Mrs.Carry Yauから、
ミニチュア・孫文の像を頂く。
孫文の時代も
日本人と中国の方々は
日本語と英語と中国語を駆使してコミュニケーションをとっていた。
今もそれは変わらない。
・・・最近、中国の方とコミュニケーションをとる機会が多い。
もちろん、私は中国語は
<ニイハオ><シェイシェイ><サイチェン>くらいしか
話せないので、彼らが日本語を話してくれるのだが・・・
その、日本語が熱いのだ。
たしかに、
”ようこそ、いらっしゃいませ”
が
”熱烈歓迎”
になるのだから、なんというか、
同じことをあらわしているにしても
ちょっとHOTな感じがする。
そんな、言葉のニュアンスの違いを
感じている
今日この頃。