いきいき村~風の村民のこと
私は、いきいき村の、風の村民。
いきいき村は、
障害者もお年寄りも大人も子供も
ともに手をとりあって
岩手県盛岡市にある<いきいき牧場>での活動を中心に
土に根ざした日本一小さな、美しい村を目指している。
牧場に住んでいらっしゃる皆さんが、<土の村民>
私のように活動を支援しているのが、<風の村民>。
秋山ちえ子先生がこのいきいき村の村長さん。
http://www.ikiiki-bokujo.jp/koenkai.html
風の村民には
毎年、秋が終わりクリスマスに近くなる頃
土の村民が丁寧に育て、作ってくれた<りんごジュース>が届けられる。
そして、彼らが毎日
カラダやココロのハンディキャップを持ちながらも
一生懸命に生きている様子を伝えるお手紙も、届く。
盛岡市の飲食店ではメニューに
<いきいき牧場の、りんごジュース>
と記載するお店もある。
盛岡の皆さんのあったかい気持ち、
それから
全国の皆さんのがんばれ、という気持ち。
いきいき村の<風の村民>であることを
誇りに思う、一瞬である。
ベランダの夏の花がきれいに咲く
風の村民は、母から受け継いだものである。
母は実の娘が言うのもなんだけれど
オードリー・ヘップバーンみたいに
細くて、目が大きくて、可愛くて、上品で
ココロも、とてもきれいな人だった。
私が幼稚園の頃のクリスマスのこと。
ある手紙が母の元に届いた。
”おかげで楽しいクリスマスを迎えることが出来ました。”
手紙に添えてあった絵には
大きなクリスマスケーキをサンタさんとほおばる子供が描かれていた。
母は親の無い子どもや障害をもつ子どものいる施設に
毎年、大きなクリスマスケーキをプレゼントしていた。
その頃、
私たちの家は、父の会社(お店)が
学生運動のデモで火炎瓶が投げられ、全焼。
そんな時期だったので、贅沢などは出来ない頃だった。
でも母は
そういう中でも、クリスマスに施設に大きなケーキを届けて
子ども達を喜ばせていた。
そういう母だから、
晩年は秋山ちえ子先生からご紹介を受けた
<いきいき村>の風の村民になっていた。
こういう活動は
続けていくことが、大切だと思うので
無理の無い範囲
自分の出きる範囲
で、微力ではあるけれど
毎年、毎月、続けている。
上海万博の<孫文と梅屋庄吉展>を開催するにあたり
今度は自分が生まれて初めて
皆さんからの<支援>をお願いする立場になった。
どんなに説明にあがっても
丁寧にお話しても
全く協賛に応じてくださらない企業が多かった中、
たった1回しかお会いしたことの無い方からお振込みいただいたり、
お会いしたことも無いのに主旨に賛同して協賛をいただいたり、
色々な経験を、した。
皆様から
支援のお金をいただくって本当に大変なのだな、と思った。
そして
そういう中、たくさんの個人レベルでの支援の皆様や
賛同してくださった会社の皆様のおかげで
その和もとても大きくなりつつ、ある。
ココロから、皆様に感謝。
四葉のクローバーも、元気に育って・・・
自分が生きること、
自分が生かされていること。
それについてじっくり味わう時を持ちつつ
自分が出きることを
精一杯やってみようと思った。
<いきいき牧場>の皆さんが
ココロをこめて作ってくれたりんごジュースを、飲みながら。
私は、いきいき村の、風の村民。
いきいき村は、
障害者もお年寄りも大人も子供も
ともに手をとりあって
岩手県盛岡市にある<いきいき牧場>での活動を中心に
土に根ざした日本一小さな、美しい村を目指している。
牧場に住んでいらっしゃる皆さんが、<土の村民>
私のように活動を支援しているのが、<風の村民>。
秋山ちえ子先生がこのいきいき村の村長さん。
http://www.ikiiki-bokujo.jp/koenkai.html
風の村民には
毎年、秋が終わりクリスマスに近くなる頃
土の村民が丁寧に育て、作ってくれた<りんごジュース>が届けられる。
そして、彼らが毎日
カラダやココロのハンディキャップを持ちながらも
一生懸命に生きている様子を伝えるお手紙も、届く。
盛岡市の飲食店ではメニューに
<いきいき牧場の、りんごジュース>
と記載するお店もある。
盛岡の皆さんのあったかい気持ち、
それから
全国の皆さんのがんばれ、という気持ち。
いきいき村の<風の村民>であることを
誇りに思う、一瞬である。
ベランダの夏の花がきれいに咲く
風の村民は、母から受け継いだものである。
母は実の娘が言うのもなんだけれど
オードリー・ヘップバーンみたいに
細くて、目が大きくて、可愛くて、上品で
ココロも、とてもきれいな人だった。
私が幼稚園の頃のクリスマスのこと。
ある手紙が母の元に届いた。
”おかげで楽しいクリスマスを迎えることが出来ました。”
手紙に添えてあった絵には
大きなクリスマスケーキをサンタさんとほおばる子供が描かれていた。
母は親の無い子どもや障害をもつ子どものいる施設に
毎年、大きなクリスマスケーキをプレゼントしていた。
その頃、
私たちの家は、父の会社(お店)が
学生運動のデモで火炎瓶が投げられ、全焼。
そんな時期だったので、贅沢などは出来ない頃だった。
でも母は
そういう中でも、クリスマスに施設に大きなケーキを届けて
子ども達を喜ばせていた。
そういう母だから、
晩年は秋山ちえ子先生からご紹介を受けた
<いきいき村>の風の村民になっていた。
こういう活動は
続けていくことが、大切だと思うので
無理の無い範囲
自分の出きる範囲
で、微力ではあるけれど
毎年、毎月、続けている。
上海万博の<孫文と梅屋庄吉展>を開催するにあたり
今度は自分が生まれて初めて
皆さんからの<支援>をお願いする立場になった。
どんなに説明にあがっても
丁寧にお話しても
全く協賛に応じてくださらない企業が多かった中、
たった1回しかお会いしたことの無い方からお振込みいただいたり、
お会いしたことも無いのに主旨に賛同して協賛をいただいたり、
色々な経験を、した。
皆様から
支援のお金をいただくって本当に大変なのだな、と思った。
そして
そういう中、たくさんの個人レベルでの支援の皆様や
賛同してくださった会社の皆様のおかげで
その和もとても大きくなりつつ、ある。
ココロから、皆様に感謝。
四葉のクローバーも、元気に育って・・・
自分が生きること、
自分が生かされていること。
それについてじっくり味わう時を持ちつつ
自分が出きることを
精一杯やってみようと思った。
<いきいき牧場>の皆さんが
ココロをこめて作ってくれたりんごジュースを、飲みながら。