今日は、前々から周知のあった臓器提供意思表示シールが職場に届いた。各自の意思や判断で、運転免許証か保険証に貼り付けてくださいというもの。
私は、何も迷うことなく、「私は、脳死後及び心臓が停止した死後のいずれでも、移植の為に臓器を提供します。」というシールをリーフレットからはがして、自分の運転免許証に貼り付けた。臓器は全部。そして親族優先でも何でもない。誰にでも。
周囲の人々に尋ねると・・・これ、決めなきゃいけないの?自分が病気になった時に考えよう。一度死んだと判断されても、蘇ることがあるんだから・・・と、迷っている人ばかり。家族のいる人は家族と話し合って、貼ればいいし、臓器を提供したくなければ、「私は臓器を提供しません。」というシールを貼ればいい。
これは、本人の自由意思なのだから、貼りたいシールを貼るだけなのだ。
私は、周囲の人も迷わず、同じシールを貼るであろうと予想していたのだが、隣席に座る60歳の嘱託さんが、「惜しい気がする。死んだと思っても、植物状態で生きてるってこともあるし。今はわからないな~。」と。ええええっつ~~~植物状態でも生に執着するんですか????と私。
これが死生観なのかもしれないけど、私は脳死や心臓停止したら、魂は抜けると思っています。または抜けかけ?なので、魂として上の世界に行けないということは、苦悩が始まりそうです。私には、肉体にしがみつくという概念がないからか?もし、自分が万が一何かあったら、他の人々のお役にたてるのなら、かえって嬉しいと思うのです。これは、一般的な日本人の意見とは異なるのでしょうか?だからといって、自分の命を粗末にしたり、命を縮めるような出来事には無縁でいたいと思います。
うちの両親も健在ですが、以前から「パパ、延命処置だけはしないように遺言に書いておいてね。」「あ~、もう書いてあるし、延命いらない。死ぬときって気持ちいいんだよ~。おばあちゃんが、お花畑から呼んでたんだよね~。行っちゃいそうだった。」と、一度、脳の血管が切れて、死の瀬戸際をさまよっていた時に、父は自分の祖母に三途の川で会ったそうです。とても気持ちのいいお花畑と川が流れていて、その川を渡る途中だったけど、やはり戻ってきたと言っていました。それは自分の母親でもある、私の祖母が健在であるので、先に死んだら、嫁である母に怒られてしまうと思って、引き返したのだそうです。とても気持ちよくて、どうしようかな~と一度は迷ったそうですが・・・。
ということで、私の家族は延命措置を取らない選択をしています。誰もが、「それがいい~」と賛成そして、臓器提供についても、躊躇することはないと思われます。といっても両親は高齢なので、その需要はありません。自分が死んだ後に自分の肉体の一部が誰かのお役に立てるなら、いい事に違いない。
それにしても、職場の同僚が、一度死んでも、蘇る時のために臓器提供なんて・・・したくない。と言っていたのを聞いて、自由ですけど、死んでも未練が残るんだ・・・と、かえってびっくりした私です。いつも毎日、思い残すことのないように、精一杯楽しんで、生きようって思っている私なので、思い立ったら、インドまでも行ってしまったりしますが・・・皆さんは、思い残すことだらけなのかしら?もっと、自由に精一杯努力して、楽しんで、思い残すことのないように生きた方がいいですよ。
私も精一杯楽しんでいるか?といったら、そうではないので、楽しみたいと心がけている程度だけど、やりたい事はやる派なので、そんなに執着はないようだ。というより、まだ今世の使命を全うしてないので、まだまだ楽しく健康で生きていきます。
私は、何も迷うことなく、「私は、脳死後及び心臓が停止した死後のいずれでも、移植の為に臓器を提供します。」というシールをリーフレットからはがして、自分の運転免許証に貼り付けた。臓器は全部。そして親族優先でも何でもない。誰にでも。
周囲の人々に尋ねると・・・これ、決めなきゃいけないの?自分が病気になった時に考えよう。一度死んだと判断されても、蘇ることがあるんだから・・・と、迷っている人ばかり。家族のいる人は家族と話し合って、貼ればいいし、臓器を提供したくなければ、「私は臓器を提供しません。」というシールを貼ればいい。
これは、本人の自由意思なのだから、貼りたいシールを貼るだけなのだ。
私は、周囲の人も迷わず、同じシールを貼るであろうと予想していたのだが、隣席に座る60歳の嘱託さんが、「惜しい気がする。死んだと思っても、植物状態で生きてるってこともあるし。今はわからないな~。」と。ええええっつ~~~植物状態でも生に執着するんですか????と私。
これが死生観なのかもしれないけど、私は脳死や心臓停止したら、魂は抜けると思っています。または抜けかけ?なので、魂として上の世界に行けないということは、苦悩が始まりそうです。私には、肉体にしがみつくという概念がないからか?もし、自分が万が一何かあったら、他の人々のお役にたてるのなら、かえって嬉しいと思うのです。これは、一般的な日本人の意見とは異なるのでしょうか?だからといって、自分の命を粗末にしたり、命を縮めるような出来事には無縁でいたいと思います。
うちの両親も健在ですが、以前から「パパ、延命処置だけはしないように遺言に書いておいてね。」「あ~、もう書いてあるし、延命いらない。死ぬときって気持ちいいんだよ~。おばあちゃんが、お花畑から呼んでたんだよね~。行っちゃいそうだった。」と、一度、脳の血管が切れて、死の瀬戸際をさまよっていた時に、父は自分の祖母に三途の川で会ったそうです。とても気持ちのいいお花畑と川が流れていて、その川を渡る途中だったけど、やはり戻ってきたと言っていました。それは自分の母親でもある、私の祖母が健在であるので、先に死んだら、嫁である母に怒られてしまうと思って、引き返したのだそうです。とても気持ちよくて、どうしようかな~と一度は迷ったそうですが・・・。
ということで、私の家族は延命措置を取らない選択をしています。誰もが、「それがいい~」と賛成そして、臓器提供についても、躊躇することはないと思われます。といっても両親は高齢なので、その需要はありません。自分が死んだ後に自分の肉体の一部が誰かのお役に立てるなら、いい事に違いない。
それにしても、職場の同僚が、一度死んでも、蘇る時のために臓器提供なんて・・・したくない。と言っていたのを聞いて、自由ですけど、死んでも未練が残るんだ・・・と、かえってびっくりした私です。いつも毎日、思い残すことのないように、精一杯楽しんで、生きようって思っている私なので、思い立ったら、インドまでも行ってしまったりしますが・・・皆さんは、思い残すことだらけなのかしら?もっと、自由に精一杯努力して、楽しんで、思い残すことのないように生きた方がいいですよ。
私も精一杯楽しんでいるか?といったら、そうではないので、楽しみたいと心がけている程度だけど、やりたい事はやる派なので、そんなに執着はないようだ。というより、まだ今世の使命を全うしてないので、まだまだ楽しく健康で生きていきます。