屯田物語

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不思議の人・詩人大村正次先生―幾度かの富山訪問に見聞きした体験に基ずく―

2020年01月16日 | 大村正次

昭和33年修学旅行「鎌倉の大仏」

推論: 富山の文学風土について(その一)

「富山県」は昔も今も、かっての藩政の名残があり、勤勉・勤労意識が非常に高い。ゆえに専業作家なる職業は意識になく、文学をするも者の大半はたとえ中央に進出したとしても専業ではなく、兼業する傾向が極めて強い。
角川書店の創業者・角川源義が、代表的な一例と言えよう。それを見逃し誤解するから、富山には文学者がほとんどいないように見えてしまい、文学史家も“富山は文学不毛の地“などとみなしてしまうのではなかろうか。
(富山文学の会より抜粋)

「正次」自身も、
「何分僕達は本務 • • の傍らやる仕事で實際は面倒臭くて、それまでに手が廻らないし、そうするには誰か専任のもの置かなければならなくなるし、この雑誌にそれ程の正賈気をだそうとは毛頭思ってゐないのである。」
(「日本海詩人」3-1号編輯後記より:傍点は筆者が打った。)とあり、兼業を嘆くではなし、ハナッから納得しているように見受けられる。
このことは、当時から半年は雪の中で過ごさなければならないという過酷な条件の中で自然と身についたものであろうことは容易に想像できる。言い換えれば粘り強く堅実な県民性なのであろう。

摂津国の怪人