昭和36年 緑岳山頂
詩人「大村正次」は、作家「井上靖」の文学デビューに立ち会ったことで知られている。
井上靖は金沢第四高等学校在学中に当時石動に住んでいた大村を訪ねたことが切っ掛けで、大村が主宰する詩誌「日本海詩人」に井上泰の名前で13篇の詩を発表することになった。(井上靖著「青春」に詳しい。)
「井上」は旭川生まれだが、「大村」も戦後旭川東高の教師になるという地縁で繋がることになる。
「孤獨」-井上泰―「日本海詩人」昭和4年6月号掲載。
私には何もいらない。
不思議にも巡りきた二十二年の歳月を
私は確りと握ってゐる。
あの人の心も、友の心も
いつか、私をおいてけぼりにしたけれど、
二十二年のやさしい月日は私の何處かで微笑んでゐる。
何も判らない童話の様な明日 が
私から離れられない昨日になるのを
私は、夢の様な心でみつめてゐる。
詩人「大村正次」は、作家「井上靖」の文学デビューに立ち会ったことで知られている。
井上靖は金沢第四高等学校在学中に当時石動に住んでいた大村を訪ねたことが切っ掛けで、大村が主宰する詩誌「日本海詩人」に井上泰の名前で13篇の詩を発表することになった。(井上靖著「青春」に詳しい。)
「井上」は旭川生まれだが、「大村」も戦後旭川東高の教師になるという地縁で繋がることになる。
摂津国の怪人
「孤獨」-井上泰―「日本海詩人」昭和4年6月号掲載。
私には何もいらない。
不思議にも巡りきた二十二年の歳月を
私は確りと握ってゐる。
あの人の心も、友の心も
いつか、私をおいてけぼりにしたけれど、
二十二年のやさしい月日は私の何處かで微笑んでゐる。
何も判らない童話の様な
私から離れられない昨日になるのを
私は、夢の様な心でみつめてゐる。