老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?」

2020-05-13 16:29:27 | 老いの光影
めずらしい六角堂の五所郵便局(旧下館市)


1537;「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?」

森村誠一さんの小説で映画にもなった『人間の証明』

大分古い話で恐縮です。
「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?」の台詞は、当時話題になった

「晋三さん、あの2枚のマスク、どうしたんでせうね?」

『配達されない三通の手紙』ではなく
『配達されない二枚のマスク』になってしまった。

なんだか寂しいですね・・・・。




心音(こころね)

2020-05-13 05:18:13 | 阿呆者
1536;心音(こころね)

他愛もないことを書く
夢のなかで「心音」という名の少女に出会った。

心音は、魂だけが生きていて
夢のなかで「心音」は「こころね」は
「しんおん」と読み替えることもできる、と。

100mを全力疾走すると心臓の鼓動は波打つように速い
生きているか死んでいるかわからず微かに振れる心臓の音
”こころ”は心臓に在ると思われているが、本当は脳に在る

心に眼、つまり「心眼」という言葉があり
眼に見えない真実を見抜く力ことを意味する。
「真贋」は「しんがん」と読み同じ言葉の響きであり
本物か偽物かを見極めること。

自分は本当に生きているのか
呼吸(いき)をしているだけなのか
夢のなかで、心音は自分に問いかけてきた。

生きているから「心」は感じる。
「熱くなったり」「優しくなったり」「悩んだり」する”こころ”は
頭にある、と心音は話しかけてきた。

心音は心根でもあり
心根が腐ったり枯れたりすると「生きる屍」の如く「死んだ」人となってしまう。

生きているか死んでいるかは、「心」で決まるのかもしれない