夏水仙
盂蘭盆が近づくと夏水仙が咲く。
寺の日蔭や、墓地に群生を見る。
どんなに美しく咲いても家の中に飾ることはしなかった。
初夏に茂っていた剣の様な葉が枯れて、花茎が突然にょっきりと伸びて花が咲くその生態と、出生の故だろうか。
横浜物語
盂蘭盆が近づくと夏水仙が咲く。
寺の日蔭や、墓地に群生を見る。
どんなに美しく咲いても家の中に飾ることはしなかった。
初夏に茂っていた剣の様な葉が枯れて、花茎が突然にょっきりと伸びて花が咲くその生態と、出生の故だろうか。
横浜物語
平成5年3月、信州聖高原の山荘から15分のところに、中央自動車道長野線麻績(おみ)インターチエンジができた。
完成を心待ちしていた妻はその1年あまり前に逝ってしまった。
一度でいいからここを走らせてみたかったがそれは叶わない。
山荘を作ったのは昭和51年、当時住んでいた茅ヶ崎から八王子まで一般道を走り、高速道路に乗り換えて大月まで、そこからは国道(酷道)20号線(甲州街道を)ひた走る。
運転は免許のある妻だけ。
明科から上山田に向かう県道は随一の難所、滝上峡に沿って進む、一方は崖、片方は底の見えない谷、曲がりくねった山道を妻はスイスイ、僕はヒヤヒヤ、息子は助手席で目を凝らす監視役。
家族3人の楽しいドライブ。妻は疲れたに違いないが、今記憶の残るのは笑顔で運転する若い妻の姿である。
やがて中央道は勝沼、小淵沢、諏訪、岡谷、松本とその距離を延し、安曇野豊科まで進み、そこで妻の命は尽きた。
その後、息子や甥が僕をのせて麻績インターを通ってくれた。その都度僕は妻の笑い声を耳の奥で聞く。