日の光とともに閉じた花弁に積もった春雪を払いのけるようにして咲いた。
花芯に小さな熱源を持っているようだ。
春の予兆の後、3回雪の洗礼を受けて、本格の春がやってくるという、その儀式は終わった。
花達がそれを一番よく知っている。
今日は私が社会人になって55回目の誕生日である。
日の光とともに閉じた花弁に積もった春雪を払いのけるようにして咲いた。
花芯に小さな熱源を持っているようだ。
春の予兆の後、3回雪の洗礼を受けて、本格の春がやってくるという、その儀式は終わった。
花達がそれを一番よく知っている。
今日は私が社会人になって55回目の誕生日である。
木曽 寝覚ノ床
雪の木曽谷
春雪のまんさく 雪を冠って美しくなる
名古屋での会議は無事終わり4年の任期が恙なく終了した、ねぎらい会の中華料理が美味しかった。
今朝 雨の名古屋を発って木曽路を北上した、徐徐に迫ってくる山腹の上方は雪景色だった。
木曽福島を過ぎると積雪は平地にまで広がり、時おり雪が舞って木曽路の春は遠いと思った。
松本はシャーベット状の雪が路面に残り、商店では除雪に追われていた。
標高の高い家の付近は15センチの降雪、またも期待が裏切られたと思いながら除雪した。
ついでに スノーシューを付けてビニールハウスを見回った。異常なし 安堵。
毛皮にくるまれて枇杷は無事越冬した。
小さな実がびっしりとついている。これからの成長を見るのは楽しみだ。
午後から会議のため名古屋へ、昨年は同じ会議が3月11日に開催されている。
その時間 特急しなのは木曽谷を疾走していた。
小さなトンネルを抜けたところで急停車し「地震があったので安全確認のため停車します」と車内放送があった。
30分ほどのイライラ時間が過ぎて安全確認終了の放送があり発車した。
小さな地震に過敏反応したように思ったのは私だけではなかった、乗客の間にもそんな空気が一瞬流れた。
何人かの乗客がデッキに出て列車遅延の連絡に追われていた。
その時は 東日本の大惨状など誰も夢想だにしなかった。
日々太陽の昇る位置が北に移動し、嬉しいことにに日の出が早くなる。
光の恵みを受けて、ヤブカンゾウの角芽が、昨日まで雪が積もっていた土手に 真っ先に顔を出した。
枯れていたような植え込みで野鳥が頻繁に鳴き交わしている。
朝 ヤマガラの番いを追うが、 落ち着きのないせわしい動きにレンズが追いつかない。
昼休みに堀端を歩いた、風は少し冷たいけれど防寒具は不要だ、もう北に帰ったのか水鳥の姿が見えなかった。
若い車掌さんは忙しい
後ろに雪の南アルプスが見える。
無人駅に電車が止まると2両編成を一人で賄う車掌さんが 脱兎のごとくホームを走って出口に立ち乗車券を集める。
車掌は車内を何度も往復し、乗車券を売りさばき、検札し、そしてホームの出口に走って集札する。
飯田線各駅の間隔は大変短い、車内を回り、ホームを走る、その機敏な動作に驚かされた。
昨日 福寿草を咲かせた陽気が一転して、雨が雪に変わり、また雪が雨に変わった。
春に3日の晴天なし、一寸乾きかけた大地に雨雪が積もって、油断して踏んだ窪地から雨水が跳ねて裾を濡らした。
ここは雨と雪を分ける標高に位置して、雪景色と雨に濡れた林の梢が艶めく景色が同居している。
新芽が伸びた沙羅の枝先にアメユキが形よく収まって、三月も二週目に入った。
カマキリのたまご(卵鞘)
無事に冬を越したカマキリの卵鞘が、整枝したドウダンの枝に光っていた。
刈り取られた先端は既に焼却されているから、卵鞘の中の数百個の卵は危機一髪助かったことになる。
山国から出る旅は、海辺に行くことが多い、土産は鮮魚類の人気が高いから、有名店は長野県ナンバーの車でごった返している。
発砲スチロールの箱に氷を詰めて魚類を埋めると、2日は保障すると魚屋のアンちゃんが云う。
日常便利に使われているこの容器は、卵鞘をヒントに発明されたと私は思っている。
ただ大きな違いは、卵鞘が1年で跡かたもなく消えることに対して、発明品は永久に?残ることである。
まんさく
枯葉を付けたまま、春一番がようやく咲いた。
娘が子供の卒業式に着物を着るといって、相談に来ていた。
もう そういう年月や季節が巡ってきたのである。
春雪に瑞々しさをました梢の間から朝霧を透して淡い日が射して、寒さに疲れた体がホットする。
義兄の一周忌法要が菩提寺で営まれた。
コロラドからも姪が24時間かけて駆けつけた。
寺院に銀杏が多いのは防火対策に植えられたのだという菩提寺住職のご高説に納得