我が地区では、毎年、この時期になると自治会主催で戦没者遺族を招き、お寺を借りて慰霊祭をする。お寺の檀家の戸数は地区全戸数(一戸建て)の半数ぐらいだが、昔は住民の大半がお寺の檀家でもあった関係で、今も引き続き、お寺を借りて慰霊祭をする。
お盆には檀家がお寺に集まり御勤めをする。自治会主催の慰霊祭は、お盆の檀家の集まりに相乗りして慰霊祭を行う。慰霊祭が終われば、檀家だけでお盆の御勤めをする。自治会役員・戦没者遺族で檀家でない人は慰霊祭が終われば退出するが、檀家は慰霊祭とお盆で2回のお経を唱える。
2回のお経ともに、僧侶である代務住職先導のもと、難解な漢字を読むでなく意味を理解するでなくフリガナを読んで唱えるだけ。読みながら、いつも思ってしまう。仏教はともすれば「葬式仏教」と揶揄されるほどになった。若い人達は、亡くなった家族の供養のための宗教みたいに思っている人も多い。その原因は、この難解な「お経」のせいなのではと思ってしまう。
葬式や法事などで、多くの人が「お経」を聞く機会に接する。この時の「お経」、今風の平易な言葉に書き換えて唱えられたとしたら、誰もが「お経」の内容を理解できるし、仏教やお経に関心を持つきっかけにもなるし、宗教嫌いな人でも「人の道」を示唆している教えには耳を傾けるのにと、思ってしまう。