先日,ひとりの管理職がわたしの仕事場に来られました。玄関で「館長さんはおられますか」とおっしゃったので,そこへ行きました。手にはイタドリが握られていたものですから,なにか急ぎの用ができたのだなと直感。
事情はすぐわかりました。その方の勤務先で起こった話を伝えて,確認したいことがあったのです。内容は次のとおりです。
ある学級で野外学習に出かけたときに,担任がイタドリを指して,食べられるんだと言って食べさせたとか。強制感があったのかどうか,それはわかりませんが,何人かは口にしたようです。
ところが,そのうちの一人が帰宅後,発熱・嘔吐症状を呈して,医療機関で受診したそうです。熱は相当に高かったといいます。そのとき保護者が医師からいわれたのが「今日,なにか特別なものを食べなかったか」ということば。それで,保護者が子どもに問うたところ「学校でイタドリを食べた」と答えたというのです。
その話が学校に伝わってきて,関係職員は面食らったというわけです。
以上が経過です。そうして,その管理職は手にした草を示しながら,わたしに「これはなんという草ですか」「毒があるのですか」「これは食べられますか」と聞かれました(下写真は花後にできた実)。
間違いなくそれはスイバでしたから,「スイバです。葉も茎も酸味がしますが,食べても大丈夫。毒草ではありません。ただ,シュウ酸がたくさん含まれているので,食べ過ぎるとよくないといわれています。近頃の子どもはそうした野草を口にすることはないため,少量でも健康・安全にはよくない事態が起こりうるでしょう。生食については特段の注意がいる時代です」と答えておきました。
この話で思うのは,わたしが担任であってもうっかり(?)味見をさせることはありうることで,むしろ,そうしたのではないかと思うのです。ただ,この草が直接の原因で健康被害を被ったのなら,これはとても怖い話なので,ひとごとでは済まされません。慎重にならざるを得ない気がします。
そうであっても,身近な自然と親しくなるのに毒草や食草を知ることは大事です。なにも知らずに怖がるのでなく,初歩的な“知”を獲得しておくことは重要です。その観点に立てば,名の由来である“酸っぱい葉”,つまり“酸い葉”であることは,味を確かめてこそ納得できる事実です。「スイバは酸っぱいから,この名が付いたのか。たしかに酸っぱいなあ」と実感する意味はあります。
そうした点まで教育で敬遠するようになると,おかしな事態を招きます。野外観察,野外探索が萎縮しては困ります。要は,「程度を考えて慎重に手を打っていけ」ということでしょう。
この子どもにはとても気の毒な結果になったかもしれませんが,植物を怖がり,この草を忌み嫌うようにはなっては元も子もありません。その後の経緯がどうなったのかわからないので,話はここまででとどめます。
そこで結論。自然となかよくしようと思えば,怖さもたのしさも知らなくてはなりません。それは生の自然との対話そのものであり,それを欠かさないことが人と自然を結ぶパイプになります。