遺憾の意を表する。
とかく何か事が生じると、当事者や関係者が発する表現だ。
辞書によれば<残念であるという気持ちを表す。
〔補説〕 自分の行動を釈明してわびる場合にも、相手の行動に対して非難の気持ちを表す場合にも用いる>とある。
こうした状況下で遺憾の意を表する。
△△△について遺憾である。
この日本語で表現する必要性が生じて入る時は、確かに辞書通りの状況があってのOut-putされてるのだが、受け手にとっては、なんか釈然としない語感が残るのは活火山だけだろうか?
相手の行動対して非難の気持ちを表す時、
「ふざけるな!」
「ナメんじゃねぇ!」
「許さねぇ!」
と言った、怒り心頭に発してのことがあって、それを表現するのだから、
<誠に遺憾です>では何か、温度差が感じられてしっくり来ない。
謝罪するときにしても同様だ。
「本当に申し訳ございません」
「ごめんなさい」
「お許しください」
を発する事で、周りは納得するのではなかろうか。
他人に危害を加えておいて、それが表面化したときに「誠に遺憾でした」では、言われた方が「ふざけるな」って言いたくなる。
最近の沖縄の少女暴行事件。
遺憾の言葉を表現しなければならない状況なんだから、もっと感情高め、激怒の極致を表現し、「度重なるこうした事件が発生し、改善されないなら日米関係を見直す」位の表現をとるべきだ。
評論家的スタンスで為政者がコメントを出していたら、それを聞かされる国民のストレスは増大するばかりだ。
<日米関係を見直す>
↓
<自前の安全保障を確立する>
↓
<コストパーフォーマンスに優れた自前の安全保障の確立>
↓
<抑止力と防衛力の整備>
↓
<△△装備?>
冷徹な論理、哲学があって、それが真剣な<怒り><主張><国家として顔><民族・国家としての品格>につながるのと考える。
ここまで相手に読ませれば、<拉致><竹島><尖閣列島>の問題解決の時間はかなり短縮できるはず。