ブログ katsukazan/活火山★時々の四方山話

20.2.5に従来のブログサブタイトル「怠惰と狂気と熱風、Jazzと演歌と飲む酒が不思議と合う毎日」に変更しまた。

「烈度」という日本語彙はあるのか? 子連れ狼の柳生烈堂は記憶に残るが。。

2022年01月30日 13時35分48秒 | 朝鮮半島
退院後の病み上がりで、暇に任せてググッてみたら、ヒットしません。
結構アナログ系ビジュアルマインドが強いほうなので、文字の語感からニュアンスは理解できるが、仮にも、産経新聞の記事です。 新潮社の公正品質までは、あえて期待はしませんが、チョット、ナニナニですね。

一連の報道で、個人的に最も気なる部分は、自衛隊が、敵性国家のミサイル発射を、何時の時点、どこまで掌握していたものかということです。

もっとも、それをさらけ出すと、敵に、自衛隊の監視、分析レベルをおしえる結果になるだけに、おいそれと、オープンにはできないと思うという理解はできますが、自衛隊の最高指揮官がキシダ君だから、まずもって、全く心もとないから、ストレスは溜まる一方です。

一月前に、サービス満点の外科医により、3分の1の摘出予定の胃癌が、手術室で、コチトラ、麻酔で白河夜船どころか、仮死状態の時、結果的にサービスで3分の1をおまけで摘出され、現在は3分の1の胃の所有者です。
そんなこ訳で、ストレスを慎ましく、悲しいくらい、哀れなほど小さくなった胃で受け止めるのは、健康上よろしくないと想像するわけで、心中穏やかではありません(汗)




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

発病後、ほぼ2ヶ月ぶりのボイトレという一人カラオケ★歌うと縫合部分に響きを感じて。。

2022年01月28日 14時54分11秒 | Formosa(台湾)にて
2ヶ月以上、それまでの「ボイストレーニング用の一人カラオケ」を挙行してみた。

理由は、昨年12月下旬に、胃癌・摘出手術(内視鏡摘出)で入院以来、ほとんど自分の声でコミュニケーションをする機会、つまり、通常の音声会話がほとんど途絶した状態になってしまい、退院後は、発声しても、
  ・こもったような、そして不明瞭
  ・声が完全にカスレて、よく言えば低音のハスキー、

このような状態で、とてもじゃないが、声に「ハリ」が全くなく、他人と会話しても「ボソボソ」状態です。

発病以前から、日本語を話す、つまり「オーラル日本語」の発声訓練が必要と考え、一人カラオケを週4〜5回実行して、結果、日本の友人とのskype通話での音声発声効果に大きな変化を認めていただくなどの好評を得ておりましたものが、二ヶ月近い間の音声発声機会の極端な現象で、喉が詰まったような状態になり、そのことにかなりのストレスを感じておりました。

そんなこともあり、居候先(ここは同じ住所ながら、1F)で、今日の午後、数時間ばかり一人になったのを幸いに、使い慣れたマイクがあったので、「声出し」をしてみました。

歌ったのは、「上海帰りのリル」を3回歌い込み、結果以下のことが判明しましたデス。

・高音部分のハリが全くない
・腹部に力を入れると、腹部の中の、3分の2を切除し、残った3分の1を食道と小腸につなげてあるせいか、縫合した部分に「響き」を感じます。

そんな訳でオッカナビックリで3回歌いこんで中止し、術後2回目のブログを打ち込んでいます。


この数年、浅草浅草寺・浅草神社境内や能舞台で活躍中の「東京大衆歌唱団」がYou Tubeでも人気ですが、不肖kazaの場合、彼らのレパートリーが、自分のレパートリーとかなりのところで重なるものの「昭和の懐メロ曲」の80曲くらいが、ボイトレ用で歌いこんでいましたので、そこそこ自信はあったのですが、今日の結果で、完全に声がツブレていました。

快復には、数カ月が必要な感じです。

全く、生きている元気が無くなり、エレベータの無い4Fの自室までは、あと1週間くらいは、階段の昇降にも不安を感じます。

食べたいものも食べれず、ひたすら、1Fの主寝室(実は4,5年前に先代の家長が亡くなった部屋が空き室)で、You Tubeでグルメ番組を頻繁に視聴しております。

今食べたいのは、サーモンのかしら・頭をぶつ切りにし、大根、人参、ごぼう、玉ねぎ、ネギを味噌汁風にアレンジした、kazan流三平汁です。

市場まで今なら歩けばおそらく従来の半分の速度で片道20分ですので、まだ自信がありませんが、数週間内に、調理できたら、画像をアップします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とある発病で手術し、約ひと月が経過。。

2022年01月27日 16時52分44秒 | Formosa(台湾)にて
昨年末27日胃の手術をしました。
日本にいる時から、ジムの風呂や銭湯で、胃の開腹手術をした手術の痕跡が鮮やかな御仁、先輩を数多く見てきましたが、よもや自分が、それも、微細な状態を、台湾語で表現もできないで、手術ということで、正直アセりました。

帰国しての手術も視野に検討したのですが、帰国後の4日の隔離や、隔離終了後からの新規受診となる時のリクスを考慮し、台湾で手術を決意しました。

10年近い台湾生活で、知人の見舞いなど、複数回、各人が入院されている総合病院へ見舞いで訪れた経験がありますが、ほぼ共通して、日本と異なる習慣があることを知っており、それが自分が受ける手術より、恐怖を感じてました。


それは、各人が一様に、日本なら普通である入院病人食を、その制度があるのに、それを食べないという点です。
付添の家族や、ヘルパーさんが、朝食のおかゆは、病院界隈で複数ある、朝粥の店から持ち帰りで買ってきます。

ちなみに台湾語で持ち帰りは、「外帯・がイタイ」です。

そして、昼時になれば、同様に病院外の、飲食店から、外帯で、当然ながら夕食も同様です。


理由は、「病院食はまずいから」が理由です。


そんな訳で、ちょっとした病院の周囲には、屋台系も含めて、数十軒の飲食店が軒を並べるのが台湾の光景です。

台湾のローカルフード、伝統的な料理、調理がほとんど口に合わない自分には
これが、まず第一の試練というか恐怖になります。

それでも、術後1週間かそこらで退院できる、胃癌のステージ2の手術でしたので、この間ばかりは死ぬ気の覚悟で、病院食を選択しました。

そうしたら、食べれないほどの不味さではなかったです。

つまりは、台湾の入院患者は、見栄っ張りで、この時ばかりは、美食を堪能するのが台湾流と悟りました。

ですから、例えば、食事制限のない整形外科系等の入院なら、入院患者はかなり体重をを増やして目出度く退院になるはずです。

かくして、入院にあたり、スマホ、タブレット、ChromBook持参したのですが、病棟内はWIFI利用不可で、結局はスマホだけが可能です。 術後4,5日目から、スマホでメール打ちをしたのですが、指入力が途中で嫌になり、結果、術後33日で、ようやく気合が入っての投稿となりました。

それも、一昨日、初めて、自分で「ワカメの味噌汁」で、夕食を普通の米食で食べたことで、昨日あたりから、体調のスイッチが入り、22年最初の投稿が可能になったような次第です。

昔、戦国時代の雑兵は、各人が乾いた味噌を持参して戦場に行ったという話を聞いたことがあります。 それと同様の話は、帝国陸軍でも中国戦線、南方・太平洋戦線でもあったと聞きます。
やはり日本人のDNAには、醸造された味噌は必須であると改めて認識しました。










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする