ブログ katsukazan/活火山★時々の四方山話

20.2.5に従来のブログサブタイトル「怠惰と狂気と熱風、Jazzと演歌と飲む酒が不思議と合う毎日」に変更しまた。

連日の米中関係の海外情報を日本史的に見て、取り上げた見た・見出し画像は、講談調になってしまった。

2020年08月31日 16時04分52秒 | ニュース
▼1月30日にSNSで、思わず発信したメッセージにある国とは「ちゅう国」です。

▼なぜ「思わず発信」したのか。

あれから7ヶ月経過した現在でも、投稿した日の高揚感は、未だに鮮明に記憶してます。
待ちかねた12年間でした。。

およそ12年前から、当時たどり着いた言論・発信、討論系動画コンテンツで見た、言論人が発信する「〇〇経済は崩壊寸前」「崩壊必須」を異口同音に発信するコメンテーター群にいたのが、川添恵子、渡邉哲也、三橋貴明、上念司、他でした。

▼当時、彼らは、現在の、チャンネル桜や林原チャンネル系に常連のレギュラー出演者陣の中に交じると、彼ら若手の諸氏は、kazanにとって、初めて遭遇する発信者で新鮮な印象でした。

▼彼らは海外の取材経験やインターネットツールを駆使した情報分析の経験や卒業後の社会経験から組み立てたロジックで、ある国の崩壊を発信しておりました。

知る限り、これらの群像の発信が新鮮な印象であったことを記憶してます。

▼当然、二、三年でその時が来ると想像しました。 それが過ぎると、更に多くの人が同様のことを発信し、それなら、後二、三年でと思っていたら、こともあろう、#2の分際で、国賓同様の接遇を要求し、それを実現したとんでもなく、無礼千万な人物は、彼の国の#1になって、世界覇権をあからさまにしていたのですから、これは、小心者のkazanにとって、苦痛と恐怖意外の何者でもなく、先行したコメンテーターの発信を真に受けていた、我が身の不明を恥じておりました。

▼こんな背景があっての2020年1月30日のSNS(facebookページ)への投稿でした。

ある国のクライシスが報道されています。 考えてみれば、自分がブログなるもの始めた2005年から数ヶ月経過した時点で、始めた知ったネット空間の保守系言論空間で発信されるコンテンツの存在は、それまでの自身のブログ発信の形を完全に変えるほど変化...

台湾海峡黙示録・改さんの投稿 2020年1月30日木曜日


▼源平の合戦は、政権が平安貴族社会から武闘集団である武家社会へ移行する時代に、桓武平氏・西軍と清和源氏東軍の戦で、結果、幕府に象徴される武家統治の始まりながら、王朝を頂点とする全地域の政権。

しかし、神武天皇以降、50代以降の皇統を二系統を源流とする武家集団の激闘にすぎず、関ヶ原と戊辰戦争は実に、二系統の末裔と、乱世時の下剋上を生き抜いて、戦闘集団を構成した集団の激突でした。

近現代史の日本にとって、最後の激突以降、価値観を一変させる「ガラガラポン」の世界が出現した。これを明治と位置づけるな、ザックリ150余年を超えて、今度は二度目の激突が今の世界で、しかもすぐ近くで進行中の事象です。

一度目は勝機を失ったが、再度の勝機のミッシングは、許されません。

しかも、誰が見ても、アホが見ても、ボンクラが見ても、大義、状況、体制、戦争維持力、戦力に圧倒的な差が明瞭な激突であることは、SNSユーザーなら常識事項であればなおさらです。

『選挙と戦(いくさ)は負ければ、名誉も、歴史も、下手すれば、アイデンティーまでもが喪失するのが常』

戦前の70余年でそこそこ名誉ある立ち位置にいて、一度の敗戦後70余年で巡ってきた、最後の好機を迎えていると思うと、毎日が興奮します。




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安倍総理の辞任表明で。。それでも「お疲れ様でした」と発信したい

2020年08月29日 03時31分34秒 | ニュース
佐藤栄作政権後の自民政権政権は、
田中角栄政権では、ミラクルな高揚感を感じたが、その終焉には国際的な不条理感を払拭できない。

以後の各政権から、日本の政治は劣化し始めた。
その現象に比例して、クソのような、存在価値を評価するに足らないクソ野党が政治の世界、クッ感に跋扈し始めた。

そうした風潮の助長を主導したのがメディアであり、その背景にあったのが、キレイな表現ならリベラルで、革新、安っぽい人権と平和を声高に主張し、それが政治風土の中でファッションになるという異様な精神文化が大手を振って歩き出したことだ。

声高に言えない勢力は、表現の世界では片隅に追いやられ、せいぜい、愚痴を肴に安酒を飲んで、ウサをはらす時間は半世紀近く続いた。

その終盤に登場したのが、安倍晋三政権だった。

それは同時に、インターネットが市民権を得始めた時期に重なる点が興味深い。

特に二度目の、奇跡の復活をした時の政権の登場には、忘れかけていた、政治への高揚感を感じた。


その時の政治課題は「改憲」と「拉致被疑者奪還」に集約されるが、それは、「改憲」で解決可能なことでもあったはずだ。

それが今、未完で政権が終わることへ、虚脱感を感じてしまうが、人生で二度の政治への高揚感を教えてくれた、若き総理に感謝とねぎらいのメッセージを発信したい。



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PLAが近海に中距離弾道ミサイル二発発射報道で見えて日本のメディアの末期症状

2020年08月27日 15時08分20秒 | ニュース
>おはよう寺ちゃん、Cozy-up, 虎ノ門Nは、自分の平日・朝の視聴コンテンツです 
以上は、kazanがgooブログで過去の複数回紹介しておりますが、今朝この3件のコンテンツで紹介された「産経新聞」だけが取り上げたとすることで、思ったことが二件あります。

▼当然、日本でも広く報道されていると思っておりましたが、実は昨夜、台湾の地上波(実態はケーブル環境)は中距離ミサイル発射を報じて、
咄嗟に、新しいステージに変わったという印象ながら、一方では、習近平CCP総書記の数日前の「絶対に先に手を出すな」と、話が違うな。。

ということは、CCP総書記は、PLAを完全に掌握してるのか?それとも、いつもの張り子のトラが放つ爆竹代わりのメッセージ、牽制に過ぎない。

以上が第一点です。

▼第2点は、台湾もやはりTVとネットのほうが紙媒体より早いし、それよりも昨夜は台湾時間の18時以降は各局はこの報道を各局が取り上げていたことを考えると、日本のメディアとの温度差を通り越した異常さ、鈍感さを感じました。
すると思い出すのは、 「一発なら間違いかもしれない」とシャーシャーと公言した某・朝日新聞の北朝鮮ミサイル発射へのコメントです。

▼朝日新聞はCCP・PLAの二発は黙認、スルーのスタンスなのだろうか?
それにしても、共同通信は、どうしなはった?
毎日は、CCPのプロパガンダ発信媒体に組み込まれているからスルーは無理もないが、NHKは? 店子の中国電視台からシカトされたか?
 
またもや、一部のメディアを除けば、日本のメディアは存在価値は無いことを実証したような印象です。

▼報告が遅れましたが、実はこの2ヶ月近く、NHKを一切視聴していません。
別にやせ我慢でもなく、また受信料支払い拒否でもありません。 

何度かご紹介しましたが、海外ではNHKプレミアムというプログラムが編成されており、NHKの地上波のうち、スタンダードタイム帯のニュースや、朝ドラ、大河、あとは日本時間18時以降~22時帯のコンテンツの殆どは、無料で視聴でき、台湾なら、ケーブルで視聴料なしで視聴ができます。

▼そのような事情から、高雄にワープしてからは、ニュース系やスペシャル系は、積極的に視聴しており、また他の媒体はネット以外に無い環境もあり、事実上は依存症レベルでした。
果たして、NHK依存症から脱却できるかどうかの実証実験でしたが、目下のところ、2ヶ月が経過です。

NHK、共同、朝日、毎日といった、日本の保守系がおぞましいいほどの嫌悪感を持って日頃より、その存在を批判することへの好感と賛同が、極めて自然に受け止められることを実証できたとを少々喜んでいます。

▼指摘したNHK、共同、朝日、毎日の4メディアや民放キー局の存在価値はほとんど感じられませんし、もはや公害レベルです。
もし、11月にトランプ大統領の再選が決まれば、案外その時が、日本の視聴者や読者のオールドメディア離れは加速すると見ます。

Covid-コロナ情報にしても、クソメディアが、アホな官僚や、官僚を使い切れないタコ政治家がぬくぬくと居心地の良い場所で、無責任な行動、発信を助長してきたというのはすでに実証され尽くされています。

▼そうした中で、この二ヶ月で、完全に色調と衣を変えたようなキー局があります。
東テレ・12チャンネルです。
日本経済新聞の系列化にある同局の変身ぶりには、驚かせれます。日経はついこの二年前まで、地方企業の中国進出の旗振り役でしたし、今でも、日本財界の親中のマインドのよりどころのような存在なのに、変身した東テレの報道番組は、ネット空間で存在を示す反中の言論チャンネル顔負けの、発信力のある報道をしてます。
民放キー局の報道としては期待が持てますね。

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facebookに投稿された靖国神社の8月15日・2020年に驚いた。。

2020年08月18日 01時20分41秒 | 政治 社会
正直、隔世の感有りを目の当たりにして、自身の今浦島的感覚を自覚させられた思いで、久方ぶりに、投稿記事にコメントを書き込みました。

紹介します。。



この記事に書き込んだコメントが下↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓デス



▼過去にコテコテ街宣右翼以外で、コレほど国旗が靖国通りに並び、大鳥居に向かう光景は見たことはありません。

10年前には想像すらできない光景に驚きました。

そして画像を見た時、反射的に主催者の顔が浮かびました。
日本文化チャンネル桜の水島聡社長です。

▼水島社長のキャラと行動には賛同してます。
動画を視聴していつも思うのは、グループ対談形式の時、人数をもっと絞って欲しいという希望があります。

理由は、2時間位のコンテンツで、人数が多いと、出席者各人の発言内容が薄くなりがちで、一方の司会進行を受け持つ水島社長の語り部分の滑らかさと話す時間に、「司会進行役プラス対談の参加者の一人」という要素が露出して、対談全体が、総花的になってしまうことがいつも残念で、視聴する側にとって不完全燃焼感を払拭できないからです。

▼こうした発信をすると、誤解を受けそうなので、数ヶ月前、youtube空間で、水島社長と水間条項の水間政憲氏との公開バトルがありました。

その時は、月間中国の鳴霞編集長の発信情報をソースにした部分を加工してドヤ顔でyoutbeで発信する水間条項の実態が一目瞭然でしたの嫌悪感を感じていた時に視聴したバトルです。

水島社長側に圧倒的な理がありと見るのは、十年前から、両者の発信内容とスタイルを承知しているだけに容易なことです。


▼そのことがあって、kazanが日常的に利用する端末のタブレット、二台のスマホ、PCのyoutrtubeホーム画面に並ぶサムネイルに、「水間条項」が並ぶことへの拒否反応が強くなり、表示削除設定をしたことを、併せて、投稿主の記事にメッセージとして挿入したものです。

やはり受ける印象というのは結構同じということも今回確認できて、少々安心しました。



▼終わりに。。

靖国通りの行進画像、大鳥居内の光景を見て、「日本は変わった」と感動しました。
今年、1月末にfacebookで発信した、世界秩序のガラガラポンが始まりが確実になるを感じて、ワクワクしてます。
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故 李登輝元総統の献花台が設置された台北賓館へ

2020年08月11日 14時26分55秒 | Formosa(台湾)にて
昨日・8月10日北上して今年数カ月ぶりの台北市へ。。
目的は、故李登輝元総統閣下への献花台がある総統府・旧台湾総督府正面広場にほぼ向こう側に位置する台北賓館で、弔問とはおこがましい限りですが、合掌してきました。

献花台の先におかれたご遺影は、kazanが2014年か15年の1月に、高雄市の日本人学校と日本人会が主催した講演会で極めて間近にお目にかかった時の印象よりさらに一世代前の、ご壮健な時のご遺影でしたが、特徴ある笑顔に深く感慨に打たれました。

件の講演会会場に開場一番乗りをし、最前列、真正面を期しての会場入りでしたが、残念ながら、最前列から後ろ2列までは、日本人学校生徒の指定席で、結果、その後ろ一般席最前列の入場中央花道で閣下をお迎えし、お送りすることができたことは、自身の貴重な体験のひとつになっております。



特に開場一乗りをした時には、まだ会場設営は、関係者が音響調整等をしている段階でしたが、その中央に掲げられた歓迎にある「閣下」の文字に「りん」とした品格と品位を自覚した記憶があります。

過去に、閣下と呼ぶべき人の遭遇は何人かいましたが、自分の人生では、限られた空間を共有した中では最上級の「閣下」であったことをに意識させられた瞬間だったと記憶しております。



閣下。

品格のあるいい言葉で、「りん」とした響きではないですか。
閣下という言葉を共有できる、日本語と日本人であることに喜びと感謝を感じます。


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故 李登輝元総統の献花台が設置された台北賓館へ

2020年08月11日 14時26分55秒 | Formosa(台湾)にて
昨日・8月10日北上して今年数カ月ぶりの台北市へ。。
目的は、故李登輝元総統閣下への献花台がある総統府・旧台湾総督府正面広場にほぼ向こう側に位置する台北賓館で、弔問とはおこがましい限りですが、合掌してきました。

献花台の先におかれたご遺影は、kazanが2014年か15年の1月に、高雄市の日本人学校と日本人会が主催した講演会で極めて間近にお目にかかった時の印象よりさらに一世代前の、ご壮健な時のご遺影でしたが、特徴ある笑顔に深く感慨に打たれました。

件の講演会会場に開場一番乗りをし、最前列、真正面を期しての会場入りでしたが、残念ながら、最前列から後ろ2列までは、日本人学校生徒の指定席で、結果、その後ろ一般席最前列の入場中央花道で閣下をお迎えし、お送りすることができたことは、自身の貴重な体験のひとつになっております。



特に開場一乗りをした時には、まだ会場設営は、関係者が音響調整等をしている段階でしたが、その中央に掲げられた歓迎にある「閣下」の文字に「りん」とした品格と品位を自覚した記憶があります。

過去に、閣下と呼ぶべき人の遭遇は何人かいましたが、自分の人生では、限られた空間を共有した中では最上級の「閣下」であったことを意識させられた瞬間だったと記憶しております。


「閣下」、 品格のある何とも厳かで敬意の極みにを言う、的確な言葉であり、「りん」とした響きがあると感じられます。

閣下という言葉を共有できる、日本語と日本人であることに喜びと感謝を感じます。




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