▼1月30日にSNSで、思わず発信したメッセージにある国とは「ちゅう国」です。
▼なぜ「思わず発信」したのか。
あれから7ヶ月経過した現在でも、投稿した日の高揚感は、未だに鮮明に記憶してます。
待ちかねた12年間でした。。
およそ12年前から、当時たどり着いた言論・発信、討論系動画コンテンツで見た、言論人が発信する「〇〇経済は崩壊寸前」「崩壊必須」を異口同音に発信するコメンテーター群にいたのが、川添恵子、渡邉哲也、三橋貴明、上念司、他でした。
▼当時、彼らは、現在の、チャンネル桜や林原チャンネル系に常連のレギュラー出演者陣の中に交じると、彼ら若手の諸氏は、kazanにとって、初めて遭遇する発信者で新鮮な印象でした。
▼彼らは海外の取材経験やインターネットツールを駆使した情報分析の経験や卒業後の社会経験から組み立てたロジックで、ある国の崩壊を発信しておりました。
知る限り、これらの群像の発信が新鮮な印象であったことを記憶してます。
▼当然、二、三年でその時が来ると想像しました。 それが過ぎると、更に多くの人が同様のことを発信し、それなら、後二、三年でと思っていたら、こともあろう、#2の分際で、国賓同様の接遇を要求し、それを実現したとんでもなく、無礼千万な人物は、彼の国の#1になって、世界覇権をあからさまにしていたのですから、これは、小心者のkazanにとって、苦痛と恐怖意外の何者でもなく、先行したコメンテーターの発信を真に受けていた、我が身の不明を恥じておりました。
▼こんな背景があっての2020年1月30日のSNS(facebookページ)への投稿でした。
ある国のクライシスが報道されています。 考えてみれば、自分がブログなるもの始めた2005年から数ヶ月経過した時点で、始めた知ったネット空間の保守系言論空間で発信されるコンテンツの存在は、それまでの自身のブログ発信の形を完全に変えるほど変化...
台湾海峡黙示録・改さんの投稿 2020年1月30日木曜日
▼源平の合戦は、政権が平安貴族社会から武闘集団である武家社会へ移行する時代に、桓武平氏・西軍と清和源氏東軍の戦で、結果、幕府に象徴される武家統治の始まりながら、王朝を頂点とする全地域の政権。
しかし、神武天皇以降、50代以降の皇統を二系統を源流とする武家集団の激闘にすぎず、関ヶ原と戊辰戦争は実に、二系統の末裔と、乱世時の下剋上を生き抜いて、戦闘集団を構成した集団の激突でした。
近現代史の日本にとって、最後の激突以降、価値観を一変させる「ガラガラポン」の世界が出現した。これを明治と位置づけるな、ザックリ150余年を超えて、今度は二度目の激突が今の世界で、しかもすぐ近くで進行中の事象です。
一度目は勝機を失ったが、再度の勝機のミッシングは、許されません。
しかも、誰が見ても、アホが見ても、ボンクラが見ても、大義、状況、体制、戦争維持力、戦力に圧倒的な差が明瞭な激突であることは、SNSユーザーなら常識事項であればなおさらです。
『選挙と戦(いくさ)は負ければ、名誉も、歴史も、下手すれば、アイデンティーまでもが喪失するのが常』
戦前の70余年でそこそこ名誉ある立ち位置にいて、一度の敗戦後70余年で巡ってきた、最後の好機を迎えていると思うと、毎日が興奮します。