姫先生のおめめ

25年間の養護教諭の経験と脳科学、波動理論から引き出すレジリエンス向上について書いています。

「せい」で生きるか「おかげ」で生きるか

2007年12月02日 | Weblog



 今日は、延期になっていた「リサイクル活動」がありました。


 地域会ごとに、生徒と職員、そして、地域の方のご協力をいただいて、とても効率的に活動ができました。
 
 私の担当の地域は、生徒の数がとても少ないのですが、みんな一生懸命にやってくれます。そして、なによりも、保護者の方が、本当に気持ちよく、元気にお手伝いをしてくださるんです。


 北部中学校に来てから、同じ地域をずっと担当していますが、毎回、本当に楽しく気持ちよくリサイクル活動をさせていただいていることに、感謝したいなぁとおもいます。

 地域のかたがたと生徒のがんばりのおかげで、本当に気持ちのよい半日を過ごしました。

  そんなリサイクル活動をしながら、こんなことを考えました。



 「せい」で生きるか。 「おかげ」で生きるか。



 人間は、「○○のせいでこうなった。」「○○でなければ、もっと□□だったのに」という思いを持つことがあります。


 私も、時折、ふと気がつくと、そんな思考パターンになっていることがあり、はっと恥ずかしくなることがあります。

 私自身、ずっと自分の幼少のころの周囲の大人たちに対して、不信感を持っていました。

そして、ずっと「私がそだった環境にいた大人たちのせいで、私はとてもつらい時期をすごした」「あの人たちのせいで、こんな性格になった」なんて考えていました。
 
 そんな思いは、人間なら、多かれ少なかれあるでしょう。
 
 最近は、そんな思いがずいぶんなくなってきました。

 もちろん、聖人君子ではないので、ゼロではありません。

 ただ、思うのは「せい」という言葉を使っているときは、自分の人生の舵取りをだれかほかの人、何かほかのものにゆだねてしまっているのだと考えるようになりました。

「せい」とおもっていたことは、何かの拍子に物事を見る視点が変わったとき、「おかげ」という言葉に変わります。

 私は、あの幼いころに続いていたあの体験があった「おかげ」で、自分がどう生きていくのかの指標というか、

 自分が人生をかけて行うことが何なのかが見えてきたように思います。


 すごく長い時間がかかりましたが・・・。

 「せい」ということばが「おかげ」に変わってきたのは、もちろんNLPを学んだおかげですが、その中でも、師匠 山崎先生のこんなことばは強く私を動かしました。

 「責任は、すべてその人の内側にあります」

 今、日本の風潮は、いろいろな出来事に対して「責任」といいます。

 責任は「とる」ものではなく、「ある」ものではないかと思っています。
 
 それも、自分自身の中に・・・。

 あなたが、自分の人生でおきるすべてのことに関して、自分でその責任を引き受けていこう と決めた時に初めて、あなたは、あなた自身の人生を、あなた自身の足で歩いているといえるのです。 

 そんなような意味だったと思います。
 
 自分の人生でおきるすべてのことを、自分で引き受ける・・・・・

なんて、潔いことばでしょうか。

私自身、まだまだ未熟で、学ばなければならないこともたくさんあります。


意識ではコントロールできない無意識の反応に惑わされることもあります。


聖人君子ではないので、怒りや悲しみに打ちひしがれることもあります。

・・・・あたりまえじゃん。。。 人間だもの。。。。

それでも、やっぱり、自分の人生を自分で引き受ける覚悟をもって


 自分の人生の舵取りを、自分自身でしていきたいって思います。



最新の画像もっと見る