男子生徒が、保健室にはいってくるなり、ソファにころがり、顔を伏せてしまいました。
いつもの冗談かと思っていたのですが、どうも、今日は、様子が違う。
声をかけてみると、「おれ、否定的なんだ。だめなんだ・・・」
よくよく話を聴いてみました。
彼は、典型的な「体感覚」・・・体で感じていることもなかなか「ことば」としてうまくでてきません。
そこは、私もNLPer。彼の状態にも優先感覚にもペーシングして、ずっと話を聴いていました。
ゆっくりだけど、ことばを押し出すように、時折、ことばを含むようにして、体で感じている何かをことばにしようとしていました。
周りが、自分のことをどう思っているか、気になるんだって話してくれました。
「そうかぁ、気になるんだ。なんだか、中学生ってみんなおんなじなやみ持ってるんだね。」って言ったら、
「えっ。そんなこと考える人、ほかにもいるの?」
「うん、考えてない人を探すのが、大変なくらい」
「へぇぇぇ。俺だけじゃないんだ」
「周りの人が、どんなふうに見ているって思っているの?」ってきいたら、
「やさしいことばをかけていても、本当にそう思ってくれているのかって思う」
さらに「どんなときにそう思うの?」という質問には、
「話聴いてもらってないって思うとき」って答えが返ってきた。
「だって、話をしているのに、軽く流されたりすることがある。そしたら、すごく不安になる」
いろいろな話をしていたら、
「しっかり話を聴いてもらっていることで、自分が受け入れられている。安心していていい。ここにいてもいい。って思える」と感じていることがわかった。
体感覚の彼の話は、ゆっくりで、体に感じているものを、一度、脳の言語中枢につれてきて、そこから、ことばにしている・・ってそんな感じ。
だから、聴覚が強い友達(理論的に段階を追って話す) 視覚を優先的に使う友達(頭の回転が速く、話のテンポも速い) にとっては、
ちょっとスローなペースに感じてしまうのかもしれません。
だからこそ、彼のように、体の感覚を優先的に情報キャッチに使う子たちは、時折悩んでしまうんですね。
そんなNLP的な講釈もあるのですが、どんな場合にせよ
「話を聴くことは、相手の存在を承認すること」なのです。
このことは、私のセミナーでもいつも伝えていることです。
それを実感してもらうワークなどもまじえながら・・・・。
聞く=耳で聞く 言葉を聞く
聴く=心で聴く 五感で感じて聴くこと その人の人間を感じること
そんなことも伝えています。
今日は、ほんの30分くらいでしたが、じっくりとこの少年の話を聴きました。
いつもの彼とは違っていました。
でも、このとき、思いました。
「いつもの彼」っていうことばそのものが、私が十分に時間をかけて話したことがなかったから、表面的なイメージで私が勝手に作っていた「いつもの彼」というイメージでした。
時折、目に涙を浮かべそうになりながら、胸の内を語ってくれた少年。
「完璧な人なんていないよね」って、私が言ったら、
この少年は、「うちの親父もお母さんも、ふたりで支えあって完璧なんだ。」って笑っていました。
彼は、素敵な両親のもとで、育っているんですね。
中学生の息子から「うちの親はすごい両親だ」って思ってもらえるご両親。
きっと彼のそのことばを聴いたら、どんなに喜ばれることでしょう。
保健室を出て行くその大きな背中を見送りながら、「がんばれ」って声をかけたくなりました。
勝手ながらTBさせていただきました。
かついち先生のブログも拝見しております。
学校の中のいろいろなこと、考えれば考えるほど、なんとかしなきゃと思ってしまいます。
たくさんの素敵な先生方とつながっていくこと、これが大きな力になると思っています。
先生のブログ、これからも楽しみです。
今後ともよろしくお願いいたします。