姫先生のおめめ

25年間の養護教諭の経験と脳科学、波動理論から引き出すレジリエンス向上について書いています。

ネガティブであることより ネガティブを否定したポジティブのほうが危険だったりする

2012年01月05日 | 波動脳科学/主体的人生のリテラシー

【2012年の記事】

 先日のラジオ出演させていただいたときにも 少し触れたのですが

 ポジティブ信仰ってあるけれど 場合によってはけっこうやばいです。

 いろんな考え方があってもよいということが まず前提にありながら 書いていきたいと思います。

 中学校勤務時代にも 生徒からの相談でも よく「ポジティブ」「前向き」ということばが 出てきました。

 「もっとポジティブになろうと思う」とか「前向きに感がるようになりたい」とか

 その逆に 「私って ネガティブなんだよね だからだめなんだ」 「すごく否定的な人間ですから」なんていうことばもよく聞きました。

 いろんなことを学ぶ前の私は

 「ポジティブ=OK」「ネガィテブ=NO」なんていう 固定的な決めつけがありました。自分が導き出したものではなく

 世間一般にポジティブはよくて ネガティブはよくないっていう 一般的価値観がでまわるようになったから 

 そんなふうに知らない間に 思い込まされていたのだと思います。

 
 ポジティブであろうとすることが いけないということではありません。

 ただ どうしてポジティブでいたいのかということを 掘り下げていかないと 逆効果だったりするんですね。

 「ネガティブであることはいけないことだから ポジティブでありたい あるべき」 というのは 実は ネガティブの否定の上に立った ポジティブ思考。
 それを強く思えば思うほど 心の深い部分では 「ネガティブ」が強化される。

 または 

 「自分のネガティブな部分を実はうすうす知っていて でも それを見せてしまうと みんなから受けれられない」が 深い部分にあり
(本人は自覚してないこともある)  やたらとポジティブを連呼する。

 ネガティブな自分がいたとしても それも必要があってできた 一つにプログラム。

 否定する必要はないんです。

 ネガティブな自分もいるんだよね。それも知っていて それでも 受け入れてしまえばいいんだけど

 それを否定し、拒否し、なきものとしてふたをする、認めない・・・! そのことのほうが危険です。

 押し殺されたそれは きっとどこかで 噴出します。

 ネガティブな自分がいることを認める。
 
 そして そんな自分も 必要があって生まれてきた自分の1部(NLPでは パート 波動では 変性自我と呼びます) なんだって 受け入れていくことが ポジティブポジティブと 異常なまでに 叫ぶより 大切なことです。

 ネガティブな感情があふれた時こそ そこにいろんな学びや気づきがあふれています。

 本当にポジティブな人って 中庸です 中道です。

 淡々として 動じない。

 ただそれだけです。

 物事への解釈、一般化、わい曲が 最小限。

 そのことによって 感情がどうにかならない。

 それが 本当にわかってきたのも波動ワークのおかげなんですが・・・・

 波動ワークで いろんな自分を発見し 受け入れていくたびに たくさんの変化が起きます。

 ものごとがうまく回らなくなった時 何が起きているのか

 すべて 自分が発信源だったと気づきます。

 この学びを 実生活で体感していくことで 

 本当にすべてのできごとが 自分が発信源であり 自分の想念が 相手の感情や現実に反映されているとしたら

 自分の意志で 自分の人生を ちゃんと生き切ることを していこうと 心から決意できます。

 ネガティブだからどうのとか ポジティブだからどうのとか という二元論を超えたところの話しです。

 つねに現実化するのは 無意識レベル・深いレベルで感じたこと 信じたことです。

 自分の人生を 自分でハンドルを握って生きていくための智慧

 そんな学びができるのがアイシンの波動ワーク

 http://heart-muscle.com/course/aisin/


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