姫先生のおめめ

25年間の養護教諭の経験と脳科学、波動理論から引き出すレジリエンス向上について書いています。

傲慢な思い

2007年03月17日 | Weblog
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今日、とある会で、久々にあった友人と話をしていました。

その友人は、教育関係のかたではないのですが、とてもユニークな方で、いつも
この方のお話を聞くのを楽しみにしています。

その友人が、仕事でかかわったお宅の子どもさんがいわゆる「引きこもり」で、
何かの雑談の折に、「なんとなならないものか」と相談を受けたそうです。

私の友人は、カウンセリングとかコーチングとか、そういうことは全く学んだ経
験のない人なのですが、なんとなく、その子にかかわってみたくなって、仕事の
ついでにそのお宅に寄ったりして、その子に関わってきたそうです。
半年くらいかかったそうですが、そのお子さんは、見事に引きこもりから立ち直
おり、家業を継ぐまでになったそうです。

そうしたことが、これまでに3回くらいあるよ、とはじめて聞きました。
「別に専門家としてやっているわけじゃないけど。」と、彼女。
NLPにもコーチングにも、ペース&リードなんていうスキルもありますが、彼女の
話を聞いていて、あらためて学ばなくても、自分なりの生き方をしていく中で、
ちゃんと心得ている人っているようなぁと、改めて思いました。長文になるので
、詳しいことは避けますが、ほんとうにあらためていろいろなことを考えさせら
れました。

人間として、人に関わる時、何が大切なのか?

資格?

立場?

知識?

彼女は、「なんとかしてあげる」ではなく、「その子にあってみたくなった」と
いう素直な気持ちを持っていました。

保健室で、生徒達と関わって行く中で、最近私が感じていることとリンクしてい
ました。
さまざまな生徒達がかかえる問題。その問題の前に、私は、「無力である」とい
うことです。
多くの問題の前に、私が学んだいろいろなことが、ただただ、単なるスキルとし
て消えて行くのを感じています。

「私がなんとかしてあげる」という考えが、いかに傲慢なものであるか。
中学校に転勤したこの4年間で思い知らされました。

ただ、ただ、保健室という場で、その子を感じてあげることしかできないのかな
と思っているこのごろです。

今日の友人の話を聞いて、あらためて自分の傲慢さに気付いています。



明日は、三重の養護教諭グループの方に依頼をいただいて、NLPのミニ講座の講師
をしてきます。

今日の友人の話をしたいと思います。

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2 コメント

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Unknown (せきちゃん)
2007-03-18 00:36:29
なるほど……。

私も教えすぎようとして,うまくいかないことがあります。

この緩急は,経験なのでしょうか。
それとも,センスなんでしょうか。

時折,考えさせられることです。
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型を学ぶことと、体験から学ぶこと (ゆーぞー)
2007-03-18 07:36:22
型を学ぶことは教科書から学ぶのと似ています。そこから得られた知識を試行錯誤しながら実践することで、体験となり、それを重ねることで、消化されていき、自信に繋がっていくのだと思います。柔道のようなものかもしれません。

ご友人の方は、体験の中から自然と学んできたのでしょうね。

リードするタイミングと、どこまでカウンセリングでいうところの「介入」するか。

介入には、たとえ話のようなもの「メタファー」が、すんなり受け入れられて有効な場合もあると思います。

でも、子供本人だけの問題なら、なんとかなるかも知れませんが、親の影響が大きい時期ですから、問題は複雑なんでしょうね。

お察しします。
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