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今日、とある会で、久々にあった友人と話をしていました。
その友人は、教育関係のかたではないのですが、とてもユニークな方で、いつも
この方のお話を聞くのを楽しみにしています。
その友人が、仕事でかかわったお宅の子どもさんがいわゆる「引きこもり」で、
何かの雑談の折に、「なんとなならないものか」と相談を受けたそうです。
私の友人は、カウンセリングとかコーチングとか、そういうことは全く学んだ経
験のない人なのですが、なんとなく、その子にかかわってみたくなって、仕事の
ついでにそのお宅に寄ったりして、その子に関わってきたそうです。
半年くらいかかったそうですが、そのお子さんは、見事に引きこもりから立ち直
おり、家業を継ぐまでになったそうです。
そうしたことが、これまでに3回くらいあるよ、とはじめて聞きました。
「別に専門家としてやっているわけじゃないけど。」と、彼女。
NLPにもコーチングにも、ペース&リードなんていうスキルもありますが、彼女の
話を聞いていて、あらためて学ばなくても、自分なりの生き方をしていく中で、
ちゃんと心得ている人っているようなぁと、改めて思いました。長文になるので
、詳しいことは避けますが、ほんとうにあらためていろいろなことを考えさせら
れました。
人間として、人に関わる時、何が大切なのか?
資格?
立場?
知識?
彼女は、「なんとかしてあげる」ではなく、「その子にあってみたくなった」と
いう素直な気持ちを持っていました。
保健室で、生徒達と関わって行く中で、最近私が感じていることとリンクしてい
ました。
さまざまな生徒達がかかえる問題。その問題の前に、私は、「無力である」とい
うことです。
多くの問題の前に、私が学んだいろいろなことが、ただただ、単なるスキルとし
て消えて行くのを感じています。
「私がなんとかしてあげる」という考えが、いかに傲慢なものであるか。
中学校に転勤したこの4年間で思い知らされました。
ただ、ただ、保健室という場で、その子を感じてあげることしかできないのかな
と思っているこのごろです。
今日の友人の話を聞いて、あらためて自分の傲慢さに気付いています。
明日は、三重の養護教諭グループの方に依頼をいただいて、NLPのミニ講座の講師
をしてきます。
今日の友人の話をしたいと思います。
私も教えすぎようとして,うまくいかないことがあります。
この緩急は,経験なのでしょうか。
それとも,センスなんでしょうか。
時折,考えさせられることです。
ご友人の方は、体験の中から自然と学んできたのでしょうね。
リードするタイミングと、どこまでカウンセリングでいうところの「介入」するか。
介入には、たとえ話のようなもの「メタファー」が、すんなり受け入れられて有効な場合もあると思います。
でも、子供本人だけの問題なら、なんとかなるかも知れませんが、親の影響が大きい時期ですから、問題は複雑なんでしょうね。
お察しします。